日本歴史地名大系 「金田庄」の解説 金田庄かなだのしよう 福岡県:田川郡金田町金田庄遠賀(おんが)川支流の彦山川が田川盆地を北西に流れ、田川中央丘陵先端部において中元寺(ちゆうがんじ)川と合流する付近の氾濫原を中心に、中元寺川・泌(たぎり)川下流の低丘陵や彦山川流域の山麓も庄域に含まれる。現在の金田町から方城(ほうじよう)町弁城(べんじよう)の一部、赤池(あかいけ)町にわたる地域に比定される。嘉元二年(一三〇四)五月二六日の関東下知状(二階堂文書/鎌倉遺文二八)によると、「金田庄内金田村地頭職」が二階堂道忍(泰行)に与えられている。当庄の領家職は村上源氏の庶流壬生家が所有していた。元亨元年(一三二一)四月八日の源某譲状写(青柳種信資料/鎌倉遺文三六)によれば、庄内の弁城村と志生田村(鋤木田村、現赤池町)が正二位源某(頼言の父雅憲か兄雅康)から源頼言に譲与されている。元徳二年(一三三〇)三月二四日には弁城・志生田両村を除く当庄領家職が源雅康から子息雅顕に(「源雅康譲状写」同資料/鎌倉遺文四〇)、貞和二年(一三四六)八月一五日には源雅顕から孫雅茂に譲与されている(「源雅顕譲状写」同資料/南北朝遺文(九州編)二)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報