日本歴史地名大系 「釜額村」の解説 釜額村かまひたいむら 山梨県:西八代郡下部町釜額村[現在地名]下部町釜額古関(ふるせき)村の南東、中倉(なかのくら)村の南、御坂(みさか)山地西方竜(りゆう)ヶ岳・雨(あめ)ヶ岳両山の西斜面に立地し、古関川左岸に注ぐ釜額川の開析谷沿いに集落が散在する。東端に本栖(もとす)湖があり、本栖村(現上九一色村)と接している。村名は山嶺の形態によるという(甲斐国志)。慶長古高帳に釜額とみえ高一一石余、幕府領。宝暦六年(一七五六)版三郡村高帳では高三〇石余。文化(一八〇四―一八)初年の家数一九・人数九九、馬三。 釜額村かまぬかむら 茨城県:那珂郡山方町釜額村[現在地名]山方町照山(てるてるやま)蛇行する久慈川東岸の狭い低地に位置し、東と南と北の三方に山が迫る。北は小貫(おぬき)・東谷(とうや)の二村。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「百五石三斗六升 釜額村」とみえ、元禄郷帳にも「釜額村」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by