針貝村(読み)はりがいむら

日本歴史地名大系 「針貝村」の解説

針貝村
はりがいむら

[現在地名]今市市針貝

北東へ流れる大谷だいや川南岸にあり、北は町谷まちや村。南におお(四〇三・八メートル)、西に名野なの山がある。中央部を南北に通る御老中ごろうじゆ街道の両側集落がある。河内かわち郡に属する。寛永七年(一六三〇)の下総山川藩領の時の検地帳(秋元正俊文書)に「原村内針貝」とみえ、近世初期には大谷川対岸の町谷村一村はら村とよばれたと考えられる。文政一一年(一八二八)の町谷村明細帳(同文書)にもかつて両村は一郷で、鎮守も一社であったとしている。慶安・元禄両郷帳には針谷はりがい村とみえ、天保郷帳には古くは針谷村と注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む