日本歴史地名大系 「釶打村」の解説
釶打村
なたうちむら
戦国後期成立の願得寺実悟著「拾塵記」に「釶打村之内多羅村」に志深き道慶という道場坊主がいたとみえ、能登では真宗の教線が比較的早くから浸透した地域であったことが知られる。永禄二年(一五五九)七月二八日には当時能登で反乱を起こしていた守護畠山旧臣の温井孝重・三宅綱久・三宅慶甫が、荷担した真宗坊主の釶打の了源に対し仁位公の扶持分を宛行う一方、羽咋郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報