釶打村(読み)なたうちむら

日本歴史地名大系 「釶打村」の解説

釶打村
なたうちむら

熊木くまき川の上・中流域の山間部で、現中島町釶打地区に比定される。同地区は昭和三九年(一九四八)以前は羽咋はくい郡に属した。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に「釶打村」とみえ、公田数六町五段二(もと三町五段二)とある。

戦国後期成立の願得寺実悟著「拾塵記」に「釶打村之内多羅村」に志深き道慶という道場坊主がいたとみえ、能登では真宗の教線が比較的早くから浸透した地域であったことが知られる。永禄二年(一五五九)七月二八日には当時能登で反乱を起こしていた守護畠山旧臣の温井孝重・三宅綱久・三宅慶甫が、荷担した真宗坊主の釶打の了源に対し仁位公の扶持分を宛行う一方、羽咋藤懸ふじかけ(現富来町)のうちの城米三〇俵を至急確保するよう命じている(「温井孝重等連署書状写」正覚寺文書)。また明応八年(一四九九)六月五日、一宮気多社の社家桜井基正・正藤父子が、相伝所領の釶打村にあった同社免田の三権職のうち、右神主知行分五八一束刈に百姓の屋敷・畠地を添えて、一族の式部大輔に代銭七八貫文で売却している(「桜井基正・正藤連署売券」気多大宮司家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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