国分氏(読み)こくぶうじ

改訂新版 世界大百科事典 「国分氏」の意味・わかりやすい解説

国分氏 (こくぶうじ)

中世下総の豪族。平姓千葉氏族。千葉六党の一つ。千葉常胤の五男胤道が葛飾郡国分郷を与えられたのに始まる。胤道はまた香取郡本矢作城に住み,奥州をはじめ遠江,三河にも加恩の地を得た。《吾妻鏡》によれば,1180年(治承4)胤道は一門とともに下総国府で源頼朝にあい,82年(寿永1)頼家誕生祝儀に弓箭をもった。84年(元暦1)一ノ谷の戦に参加,89年(文治5)奥州征伐にも従軍している。南北朝・室町時代に千葉宗家は衰えたが,胤道の子孫は本矢作,大崎2城を本拠として大戸庄(現,佐原市)を領有して活動した。1365年(正平20・貞治4)武蔵金沢称名寺領下総東荘上代郷内の地を東,海上氏が押領したとき,国分遠江守は大須賀越後守とともに現地に赴き,下地を寺の雑掌に沙汰するよう関東公方から命ぜられており,有力な在地領主であったことが知られる。南北朝内乱期の千葉氏は本宗たる千葉介貞胤が南党,従兄弟胤貞が北党として対立するなど内部抗争により弱体化し,満胤のときには粟飯原,相馬,大須賀,東,木内鏑木等の一族とともに国分氏は本宗補佐の任に当たった。菩提寺たる佐原市与倉大竜寺には一族の墓があり,また国分三河入道寿歓の1368年(正平23・応安1)寺領寄進状をはじめ,南北朝より戦国期に及ぶ直胤,胤久,胤信,胤憲老母菊千代女の寄進状がある。また,香取市の旧佐原市牧野観福寺には1365年国分三河守の宛行状をはじめ,戦国期に至るまでの文胤・胤盛・朝胤の書状,判物,寄進状,補任状が蔵され,おのおの国分氏一族の信仰生活を知ることができる。戦国期の国分氏は他の千葉氏一族とともに小田原後北条氏傘下の武将として活動し,1590年(天正18)豊臣秀吉軍の来攻に際し,北条氏と運命を共にして滅びた。
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世界大百科事典(旧版)内の国分氏の言及

【下総国】より

…四郎胤信は香取郡大須賀保(大栄町(だいえいまち))を根拠とし大須賀氏の祖となった。五郎胤道(通)は始め葛飾郡国分(市川市)を譲与されたといわれ,のち香取郡本矢作(もとやはぎ)城を本拠とし子孫は国分氏を称した。六郎大夫胤頼は香取郡東荘(とうのしよう)(東庄町)を領して東(とう)氏を称しのち海上郡三崎荘(銚子市,旭市,海上町)をも父常胤より与えられたという。…

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