日本歴史地名大系 「鈴川村」の解説 鈴川村すずかわむら 静岡県:富士市旧吉原市・鷹岡町地区鈴川村[現在地名]富士市鈴川・鈴川町・鈴川本町(すずかわほんちよう)・鈴川西町(すずかわにしちよう)・鈴川中町(すずかわなかちよう)・鈴川東町(すずかわひがしちよう)依田橋(よだばし)村の南に位置し、北は沼(ぬま)川、西は和田(わだ)川・吉原(よしわら)湊に、南は駿河湾に面している。沼川と和田川の合流点辺りは三股(みつまた)淵という深い淵になっていて、生贄の伝説があった(修訂駿河国新風土記)。東海道が通り、中世は見付(みつけ)宿、のち吉原宿があった。天文二一年(一五五二)八月一六日付今川義元朱印状(宮崎文書)に「上方・下方・須津、宇流井河東者限樋爪」とみえ、義元が富士浅間社(富士山本宮浅間大社)の社僧春長に同社の風祭神事料所として安堵している。この樋爪(といづめ)は地内字樋詰(といづめ)および今井(いまい)の字樋詰付近に比定される。慶長六年(一六〇一)東海道の駅制整備により伝馬朱印状が下付され当村地先と今井村に吉原宿が成立。それまで吉原湊で行っていた渡舟の制度を廃止して、道筋を沼川へ河合(かわい)橋を架けて北に進むよう変更した(吉原市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by