20世紀日本人名事典 「鈴木松年」の解説 鈴木 松年スズキ ショウネン 明治・大正期の日本画家 生年嘉永1年6月14日(1848年) 没年大正7(1918)年1月29日 出生地京都 別名幼名=百太郎,別号=百僊 経歴父に絵を学び、山田梅東に詩文を学ぶ。明治13年京都府画学校出仕となり、14年父の後任として同校北宗科教員となる。15年内国絵画共進会で褒状、17年同会で銀章となり、23年内国勧業博で妙技3等、28年同博覧会でも3等となる。また26年シカゴ万博に入賞、33年パリ万博では銅賞を受賞した。鈴木派の中心的画家として活躍。山水、人物を得意とした。この他京都美術博、日本美術協会、新古美術品展などでも受賞を重ねたが、文展には出品しなかった。代表作に嵯峨天龍寺の天井画「蛟龍図」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木松年」の解説 鈴木松年 すずき-しょうねん 1848-1918 明治-大正時代の日本画家。嘉永(かえい)元年6月14日生まれ。鈴木百年の長男。幼少のころより父にまなぶ。明治14年京都府画学校の教員となる。人物画を得意とし,いま(曾我)蕭白(しょうはく)といわれた。内国勧業博覧会などで受賞。上村松園の最初の師。大正7年1月29日死去。71歳。京都出身。名は賢。初号は百僊(ひゃくせん)。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「鈴木松年」の解説 鈴木 松年 (すずき しょうねん) 生年月日:1848年6月14日明治時代;大正時代の日本画家1918年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by