朝日日本歴史人物事典 「鈴木重仍」の解説
鈴木重仍
生年:慶長13(1608)
江戸前期の芸州(広島)藩士,安芸竹原塩田(竹原市)開発の功労者。幼名八十郎。通称四郎右衛門。寛永年中(1624~44)に藩主浅野光晟に召し出され,新知200石を受け,御馬廻り,のち浦辺御蔵奉行。正保(1644~48)のころ,御蔵奉行として安芸国賀茂郡竹原下市に在住。正保3(1646)年から翌年にかけての竹原下市沖大新開75町余の干拓工事を主導。さらに賀茂郡代官として,慶安3(1650)年から3年間に大新開の内に塩浜98軒を築造,その功により50石加俸された。塩浜開発の記録『塩浜開起之縁起』(1690)は代官鈴木氏の尽力を力説している。百年忌(1763)に竹原下市長生寺に墓塔を建てられた。<参考文献>『竹原市史』1,3巻
(渡辺則文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報