鉢地村(読み)はつちむら

日本歴史地名大系 「鉢地村」の解説

鉢地村
はつちむら

[現在地名]岡崎市鉢地町

南の清田せいだ(現蒲郡市)より村域を縦断して北の本宿もとじゆく村で東海道に接続する里道沿いに集落が立地。村域中央部を北に向かっておと川支流の鉢地川が流れる。東は長沢ながさわ(現宝飯郡音羽町)、西は山綱やまつな村、南は清田村と各々山で接し、北は本宿村と山および耕地で接する。中世山中やまなか郷に属する。「冨田氏家譜」は鉢地の冨田家に僧五〇人を引連れた法蔵ほうぞう寺再興の竜芸一行が逗留したと伝える。現在冨田家に竜芸の「亥山教空竜芸大和尚尊位永享十一年八月七日示寂」の位牌がある。竜芸は法蔵寺を退いて当村に隠居寺として潜竜山菩提ぼだい院を建立している。

天文二二年(一五五三)今川義元によって出された「参河国山中法蔵寺領之事」の安堵状(法蔵寺文書)中に「在々所々諸末寺領之事、如前々不可有相違」とあるから当村の一部は法蔵寺領になっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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