国指定史跡ガイド 「銘苅墓跡群」の解説
めかるはかあとぐん【銘苅墓跡群】
沖縄県那覇市銘苅にある墓群跡。沖縄本島南部、首里城跡の西方約3kmに所在する。沖縄グスク(城)時代から琉球王府時代、明治時代に続き、沖縄地方独特の葬制の成立と展開を示す貴重な遺跡であることから、2007年(平成19)に国の史跡に指定。周辺は琉球石灰岩地帯で、墓跡群は緩やかな起伏のなかを北西方向へ流れる小河川沿いの谷に営まれている。亀甲墓(かめこうばか)のうち最大規模の伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓をはじめ、15世紀前後から20世紀までの多様な形式の330基が発見された。伊是名殿内の墓は、伊是名島・伊平屋(いへや)島の総地頭だった伊是名家の墓で、銘苅川と大湾川の合流点付近にあり、南北約30m、東西約22mの規模をもつ。伊是名殿内の墓の東約100mに位置する保存地区には、崖面の岩陰前面に石積みをして墓室とした囲い込み岩陰墓2基、琉球石灰岩の下層に堆積した粘土層に横穴を掘り込んで墓室とした掘り込み墓26基、亀甲墓1基がある。この銘苅墓跡群は、岩陰における洗骨葬がグスク時代に成立し、近世以降、掘り込み墓などが展開したことを示すとともに、中国から伝わった最大規模の亀甲墓があり、文字資料により具体的な被葬者像が明らかにできるなど、墓跡としてはきわめて貴重な事例といわれている。那覇バスターミナルから車で約11分。