日本歴史地名大系 「銘苅村」の解説 銘苅村みかるむら 沖縄県:那覇市旧島尻郡地区銘苅村[現在地名]那覇市銘苅(めかる)・銘苅一―三丁目安謝(あじや)村銘苅原(みかるばる)一帯にあったと思われる村。「球陽」尚徳王六年(一四六六)条によると、泊大阿母潮花司に浦添(うらしー)間切「名嘉瑠邑」の田四石二斗余が与えられており、「名嘉瑠村」は銘苅村のことと推定される。近世には琉球国高究帳の西原(にしばる)間切に「あめく村・めかる村」と併記され、高頭三七六石余、うち田二二六石余(うち永代荒地一二石余)・畠一五〇石余。絵図郷村帳には記載がなく、乾隆二年帳に「めかる村」は「あめく村」(天久村)・「あじや村」(安謝村)・「た田村」(多和田村)とともに西原間切から真和志(まーじ)間切へ移管され、すでに「当時無之」と記されている。また「琉球国由来記」に「安謝村ニ、銘苅云小邑ニ、有銘苅翁子旧跡」とあり、「た田村」とともに安謝村に組込まれたと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by