錦之町浜(読み)にしきのちようはま

日本歴史地名大系 「錦之町浜」の解説

錦之町浜
にしきのちようはま

[現在地名]堺市錦之にしきの西にし二―三丁

善教ぜんきよう町の西、海岸に至るまでの町。元禄二年(一六八九)堺大絵図は大浜おおはま筋の東西の両頬に「錦町浜」と記し、さらに大浜筋を含めて海岸に至る五筋の道を描き、その両頬を当町域とする。その後、宝永元年(一七〇四)大和川付替えによる土砂堆積や、うち川の整備とともに町域は西に拡大し、文久三年(一八六三)堺大絵図では、元禄期と比べると浜側にさらに一本の南北道が開通している。なお同絵図は当町の東部、大浜筋の東西の両頬に「ハイヲウシ丁」の異称を記すが、これは東頬北端にあった梅翁ばいおう寺にちなんだ称。ほかに異称として「化物町」「(酒)船町」「柴屋町」「納屋筋」などがある(申唱之町名「堺市史」所収)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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