鍛冶屋原村
かじやばらむら
七条村の西にあり、南は五条村(現吉野町)、西は引野村に囲まれた泉谷川の扇状地に開けた地域。村名については、古くから鍛冶屋がいたからという伝承があるが、このことを示す資料は見当らない。またもとは梶ノ原とよばれた原野であったが、徳島藩の開墾奨励により慶長(一五九六―一六一五)中頃から開拓が進められ、のちに村として成立する頃に鍛冶屋原とよばれたと考えられている(上板町史)。郡村誌には元和三年(一六一七)年貢高が定められた引野村の支郷であったが、のち一村となったとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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