出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…時の政権の動きに機敏に対応して勢力を伸ばしてきた狩野派は,徳川幕府の成立とともに江戸への進出を図り,幕府の要請に従ってその居城修築に必要な絵師を江戸へ送り込んだ。探幽もその一人として父と共に京都から江戸へ下り,1617年(元和3)幕府御用絵師となって父の跡目を弟尚信に譲り,21年には鍛冶橋門外に屋敷を拝領,23年京都の狩野宗家を弟安信に継がせ,自らは別家して鍛冶橋狩野家をおこす。探幽は,江戸幕府の安定にすばやく対応し,弟たちを相ついで江戸へ下らせ幕府の画事に携わり,幕藩体制の中で御用絵師としての地位を固め,自らを中心とした江戸狩野を確立していった。…
…26年(寛永3)の二条城や34年の名古屋城上洛殿の障壁画は,探幽が尚信,安信など一門を率いて制作にあたったもので,画風も探幽の様式に統一されるなど,探幽を中心とした体制が作られていった。探幽は21年に幕府から鍛冶橋門外に屋敷を拝領したので,後に鍛冶橋狩野家と呼ばれた。尚信は30年に竹川町に屋敷を拝領し,子の常信のときに木挽町に移ったので木挽町狩野家と呼ばれ,宗家の安信は寛永年間(1624‐44)中橋狩野家をひらいた。…
※「鍛冶橋狩野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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