鎧村(読み)よろいむら

日本歴史地名大系 「鎧村」の解説

鎧村
よろいむら

[現在地名]香住町鎧

庵月あんげつ(三四四・五メートル)を境に下浜しものはま村の西に位置する。北は日本海に面し、西も山境に余部あまるべ村。集落は日本海の湾入部に沿って発達。近世領主変遷香住村に同じ。古くは余部村のうちで、慶長一八年(一六一三)の小出吉英所領目録(金井文書)では余部村高三三六石余のうちに含まれていたと思われる。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高三九石余。出石封内明細帳では免状表高五五石余、この内訳は屋敷三石余・麻畑二石余・田方四二石余・畑方六石余、ほかに古新発高一斗余・新発高八石余、家数四八・人数二五九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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