改訂新版 世界大百科事典 「鐘が岬」の意味・わかりやすい解説
鐘が岬 (かねがみさき)
(1)地歌の曲名。初世中村富十郎は1753年(宝暦3)に江戸中村座で《京鹿子娘道成寺》(《娘道成寺》)を演じて大当りをとり,大坂へ帰って59年角(かど)の芝居で《九州釣鐘岬(かねがみさき)》の大切(おおぎり)に《江戸鹿子娘道成寺》として再演したが,このときの舞踊の地が地歌にそのまま残りこの曲名がついた。深草検校が箏の手をつけたといわれる。文化・文政(1804-30)ごろ京都の石川勾当(菊岡検校説もある)がこの前半に手事を加え,明治になって熊本の本田勾当が箏の手をつけたものを,生田流では《新娘道成寺》といっている。山田流では《鐘が岬》。歌詞は長唄《京鹿子娘道成寺》の〈鐘に恨みは〉から〈思いそめたが縁じゃえ〉まで。もっとも色気のある部分なので,舞踊に使われることが多い。(2)荻江節の曲名。《鐘の岬》。幕末のころ荻江里八(3世清元斎兵衛)が《八島》《山姥(やまんば)》などとともに荻江節に移した。歌詞,曲ともに地歌と同じ。
執筆者:竹内 道敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報