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清元斎兵衛 (きよもとさいべえ)
清元節の三味線方,作曲家。4世まである。(1)初世 生没年不詳。はじめ鳥羽屋万吉。1814年(文化11)清水万吉から清沢万吉と改め,20年(文政3)清元斎兵衛と改名。初世・2世延寿時代の清元三味線の功労者。《須磨》《権八》《保名(やすな)》《玉兎》《累(かさね)》《申酉》《喜撰》などを作曲。(2)2世 生没年不詳。初世の門弟磯八。1837年(天保8)ごろ斎兵衛を継ぐ。《四季三葉草(しきさんばそう)》《神田祭》などを作曲。(3)3世(?-1867(慶応3)) 前名鳥羽屋里八,荻江里八,菅野里八。《双六》ほかを作曲。一中節では《道成寺》を作曲。(4)4世(1852-1909・嘉永5-明治42) 3世の門弟三つ石里吉。初名里寿郎。4世延寿太夫の三味線を弾いていた。《花がたみ》を作曲。
執筆者:竹内 道敬
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清元 斎兵衛(4代目)
キヨモト サイベエ
- 職業
- 清元節三味線方
- 本名
- 三ツ石 里吉
- 別名
- 前名=清元 里寿郎,別名=鳥羽屋 里長(4代目)(トバヤ リチョウ)
- 生年月日
- 嘉永5年
- 経歴
- 3代清元斎兵衛の門弟。明治13年頃本郷根津遊廓大八幡の娘に見染められてむこ養子に入り、清元を廃業。15年11月新富座で富元家元の「田雁露手枕」上演の際、相手三味線がいなかったため、鳥羽屋里長と名乗り三味線を務めた。のち大八幡が没落したので清元に戻り、25年清元菊寿太夫に取り立てられ、4代目を襲名、4代延寿太夫の三味線方として、2代清元梅吉と並び称された。作曲に「花がたみ」がある。
- 没年月日
- 明治42年 8月 (1909年)
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清元斎兵衛【きよもとさいべえ】
清元節の三味線方の芸名。幕末から明治期まで4世続いた。初世(生没年未詳)は文化―天保期(1804年―1844年)に活躍。初名鳥羽屋万吉。初世清元延寿太夫の立三味線を務め,清元節の樹立時に清水から清沢に改姓。のち清元斎兵衛と改める。晩年には斎寿と称した。清元初期の作品のほとんどを作曲。主作品は《保名(やすな)》《累(かさね)》など。2世(生没年未詳)は初世の門人。1837年ごろ襲名。《神田祭》などを作曲。
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清元斎兵衛(1世)
きよもとさいべえ[いっせい]
[生]?
[没]天保7(1836)頃
清元節三味線方。2世鳥羽屋里長の門弟。初名鳥羽屋万吉。文化 11 (1814) 年清元節創流の際,清水万吉を経て清沢万吉と改名し,清元節三味線方となる。文政3 (20) 年清元斎兵衛と名のり,天保5 (34) 年さらに斎寿と称した。1世・2世清元延寿太夫の立三味線。『須磨』『保名 (やすな) 』『累 (かさね) 』『権八』『鳥羽絵』『お染』など,清元節初期の曲の大部分を作曲。
清元斎兵衛(4世)
きよもとさいべえ[よんせい]
[生]嘉永5(1852)
[没]1909
清元節三味線方。3世清元斎兵衛の門弟。4世清元延寿太夫の三味線方。 1882年頃4世鳥羽屋里長を名のり,のちに4世斎兵衛を継承。『花がたみ』などを作曲。
清元斎兵衛(2世)
きよもとさいべえ[にせい]
清元節三味線方。1世清元斎兵衛の門弟,清元磯八。天保8 (1837) 年襲名。2世清元延寿太夫の立三味線。『神田祭』『四季三葉草』などを作曲。
清元斎兵衛(3世)
きよもとさいべえ[さんせい]
[生]?
[没]慶応3(1867)
清元節三味線方。一中節で菅野里八,荻江節では荻江里八を名のる。『双六』,一中節『道成寺』などを作曲。
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清元斎兵衛(初代)
生年:生没年不詳
江戸時代,清元節創設期の三味線方の第一人者。文化~天保期(1804~44)に活躍。2代目鳥羽屋里長の高弟ではじめ鳥羽屋万吉といった。初代清元延寿太夫の富本時代からの相方を勤め,文化11(1814)年清元節樹立に際し清沢万吉,文政3(1820)年清元斎兵衛と改名。「須磨」「保名」「鳥羽絵」「玉兎」「累」など清元節初期の名曲の多くを作る。天保5(1834)年斎寿と号し天保末に没した。門弟の磯八が2代目を襲名,「四季三葉」「神田祭」などを作曲。3代目は荻江・一中節にも長じた。4代目は2代目清元梅吉のライバルとして活躍した。<参考文献>町田佳声「清元雑考」(『現代・邦楽名鑑 清元編』)
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清元斎兵衛(4代) きよもと-さいべえ
1852-1909 明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
嘉永(かえい)5年生まれ。清元節。3代清元斎兵衛の門弟。初名は清元里寿郎。一時4代鳥羽屋里長(とばや-りちょう)を名のる。明治25年4代斎兵衛をつぎ,2代清元梅吉と4代清元延寿太夫の立三味線をつとめた。明治42年8月死去。58歳。本名は三石里吉。作品に「花がたみ」。
清元斎兵衛(初代) きよもと-さいべえ
?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
2代鳥羽屋里長(とばや-りちょう)の門弟。はじめ鳥羽屋万吉。文化11年(1814)初代清元延寿太夫が清元節をたてると清沢万吉と名のり,立三味線をつとめる。文政3年清元斎兵衛と改名。「今様須磨(すま)」「保名(やすな)」など名曲を多数作曲。
清元斎兵衛(3代) きよもと-さいべえ
?-1867 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
前名は鳥羽屋理八,荻江理八。安政3年3代清元斎兵衛をつぎ,立三味線をつとめる。一中節にも通じ,菅野(すがの)里八とも称する。作曲にすぐれ,作品に清元節「双六」,一中節「道成寺」など。慶応3年死去。
清元斎兵衛(2代) きよもと-さいべえ
?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
清元節。初代斎兵衛の門弟。前名は清元磯八。天保(てんぽう)8年(1837)ごろ2代目をつぐ。「四季三葉草(しきさんばそう)」「神田祭」などを作曲した。
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清元 斎兵衛(4代目) (きよもと さいべえ)
生年月日:1852年2月27日
江戸時代;明治時代の清元節演奏家;作曲家
1909年没
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世界大百科事典(旧版)内の清元斎兵衛の言及
【神田祭】より
…作詞三升屋二三治。作曲初世清元斎兵衛。江戸の三大祭の一つである[神田祭]のにぎやかさ,威勢のよさを描いたもの。…
【座頭】より
…作詞勝井源八。作曲初世[清元斎兵衛],4世[杵屋六三郎]。もとは長唄と掛合であった。…
【三社祭】より
…作詞2世[瀬川如皐]。作曲初世[清元斎兵衛]。振付2世[藤間勘十郎]。…
【三人生酔】より
…1824年(文政7)5月,3世坂東三津五郎,7世市川団十郎ほかにより江戸市村座で初演。2世[桜田治助]作詞,初世[清元斎兵衛]作曲,3世[西川扇蔵]らの振付。朝顔売,水売,芸者がそれぞれの酔態をみせる。…
【玉兎】より
…作詞2世[桜田治助]。作曲清沢万吉(初世[清元斎兵衛])。振付市山七十郎(なそろう),3世[藤間勘兵衛]。…
【玉屋】より
…作詞2世[瀬川如皐](じよこう)。作曲初世[清元斎兵衛]。振付2世[藤間勘十郎]。…
【保名】より
…四季七変化《深山桜及兼樹振(みやまのはなとどかぬえだぶり)》春の部の一つ。作詞篠田(しのだ)金治,作曲初世[清元斎兵衛],振付藤間大助(2世[藤間勘十郎])。初演以降絶えていたのを9世市川団十郎が復活。…
【山帰り】より
…作詞2世[桜田治助]。作曲初世[清元斎兵衛]。振付藤間大助。…
【六歌仙】より
…作詞松本幸二。作曲10世[杵屋六左衛門],初世[清元斎兵衛]。振付2世[藤間勘十郎],4世[西川扇蔵],中村勝五郎。…
【荻江節】より
…また〈[めりやす]〉の影響が強い作品(《稲舟(いなぶね)》《小町》《喜撰》など)もある。幕末に今日の荻江節の基礎を作った荻江里八(3世清元斎兵衛)が出て,地歌の曲《鐘の岬》《八島(やしま)》《山姥(やまんば)》などを取り入れ,また新曲《深川八景》《松》《竹》《梅》などを加えて,長唄からの独自性を強め〈荻江節〉を完成させた(それまでは〈荻江風長唄〉とか〈荻江流長唄〉といわれた)。4世露友没後は女性演奏家によって伝承されており,河東節,一中節,宮薗節とともに〈古曲〉の一つとなっている。…
【鐘が岬】より
…《鐘の岬》。幕末のころ荻江里八(3世[清元斎兵衛])が《八島》《山姥(やまんば)》などとともに荻江節に移したもの。歌詞,曲ともに地歌と同じ。…
【八島】より
…(3)荻江節。荻江里八(のちの3世[清元斎兵衛])などが,(2)から移したものか。1879年,花柳流で振り付けられた。…
【子守】より
…作詞増山金八。作曲[清元斎兵衛]。振付藤間大助,岩井吉五郎。…
【吉原雀】より
…作詞[三升屋二三治](みますやにそうじ)。作曲初世[清元斎兵衛]。長唄の曲をもとに作られたもので,《新吉原雀》ともいわれる。…
※「清元斎兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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