出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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石川勾当
生年:生没年不詳
江戸後期の地歌三弦家。文化・文政(1804~30)のころに京都で活躍。演奏よりも作曲に秀でていたが,偏屈な性格のために仲間の反感を買い,不遇で赤貧のうちに没した。百人一首から衣に関する歌をとった「八重衣」,謡曲を題材とした「融」「新青柳」は「石川の三つ物」と呼ばれるが,いずれも難曲で,当初は演奏する人もなかった。「八重衣」は宮原検校が八重崎検校に箏の手を付けさせてから世に広まり,「融」は京都では廃絶したが,伏見を経て大坂に伝わったものに市浦検校が箏の手を付けて「伏見物」として復活させたと伝えられている。他に「吾妻(東)獅子」の三下り替手を作曲。「新娘道成寺」の作曲者とも擬されている。<参考文献>平野健次監修・解説レコードアルバム『箏曲地歌大系』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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石川勾当【いしかわこうとう】
地歌・箏曲家。生没年不詳。文化・文政ころ京都で活躍。とくに三弦をよくした。才能があったが先輩の反感を買い,晩年は不遇だったと伝える。地歌三弦曲《八重衣》《新青柳》《融(とおる)》はその代表作。いずれも箏の手が付けられ,京風手事物の名曲として知られる。
→関連項目八重崎検校
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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石川勾当
いしかわこうとう
文化文政期 (19世紀初め) に京都で活躍した盲人の音楽家で,三弦の名手。「石川の三つ物」として知られる『八重衣』『 (新) 青柳』『融 (とおる) 』をはじめ,『新娘道成寺』などを作曲したが,その才能のためにかえって職屋敷の反感を買い,晩年は不遇であったとも伝えられている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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石川勾当 いしかわこうとう
?-? 江戸時代後期の地歌三味線家。
文化-文政(1804-30)のころ京都で活躍。作曲にもすぐれ,代表作の「八重衣(やえごろも)」「新青柳」「融(とおる)」は石川の三つ物として知られる。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の石川勾当の言及
【鐘が岬】より
…深草検校が箏の手をつけたといわれる。文化・文政(1804‐30)ごろ京都の[石川勾当](菊岡検校説もある)がこの前半に[手事]を加え,明治になって熊本の本田勾当が箏の手をつけたものを,生田流では《新娘道成寺》といっている。山田流では《鐘が岬》。…
【新青柳】より
…地歌・箏曲の曲名。三弦は[石川勾当],箏は[八重崎検校]作曲の京風手事物。《八重衣(やえごろも)》《融(とおる)》とともに〈石川の三ツ物〉の一つ。…
【八重衣】より
…地歌・箏曲の曲名。[石川勾当](こうとう)作曲の地歌の手事物で,《融(とおる)》《[新青柳]》とで〈石川の三つ物〉とされる大曲。石川自身も弾きこなせない難曲であったが,宮原検校(?‐1864)が[八重崎検校]に箏の手を付けさせてから,一躍有名になったという。…
※「石川勾当」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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