長倉城跡(読み)ながくらじようあと

日本歴史地名大系 「長倉城跡」の解説

長倉城跡
ながくらじようあと

[現在地名]御前山村長倉

本城ほんじようにある。その規模は東西約三三〇メートル・南北約二二〇メートル。「水府志料」の長倉村の項に「古城 東西百八十間余、南北百十間余、高百二十間余。四方に谷あり。東南に堀の形あり。佐竹行義の第二子義総、始て築たるよし。長倉を食邑して長倉氏を名乗。義総の子孫遠江守義興を佐竹氏柿岡へ遷す。佐竹氏羽州秋田へ徙るに及で城廃すと云」とみえる。東南には堀、西北は谷を挟んで山が迫り、北から東に大沢おおさわ川が流れ、南は那珂川に向かって低地となる要害の地である。

「新編常陸国誌」によると、文保元年(一三一七)佐竹行義の二子義綱が長倉氏と称しこの城を築いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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