長尾東村(読み)ながおひがしむら

日本歴史地名大系 「長尾東村」の解説

長尾東村
ながおひがしむら

[現在地名]長尾町東(ひがし)

鴨部(かべ)川支流の清水(しみず)川・切(きれ)ノ川流域の平野部に位置する。北は大鉢山で野間田(のまだ)村と境する。三反地(さんたんじ)遺跡から弥生時代後期の土器が出土しており、また是行谷(これゆきだに)古墳群・極楽寺(ごくらくじ)古墳などがある。長尾西村・長尾名(ながおみよう)村などとともに一帯は「和名抄」寒川(さんがわ)郡長尾郷の地に比定され、中世には二位家法華堂領長尾庄が成立した。大永三年(一五二三)安富筑前守と寒川元政の麾下神前出羽守との間に塩木合戦があったが(南海治乱記)、塩木(しおき)は村内将基(しようぎ)の地という(長尾町史)。

慶長二年(一五九七)の長尾東村と推定される検地帳(有馬文書)の一部が残っている。寛永国絵図では長尾庄一六ヵ村高三千五三七石余のうちで、東村・是行がのちに長尾東村となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む