長尾隼人(読み)ながお はやと

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長尾隼人」の解説

長尾隼人 ながお-はやと

1651-1706 江戸時代前期の武士
慶安4年生まれ。美作(みまさか)(岡山県)津山藩家老。元弘(げんこう)の乱の際に後醍醐(ごだいご)天皇をすくおうとした児島高徳(たかのり)の顕彰碑をたて,美作の旧記の保存,地誌「作陽誌」の編集をした。元禄10年藩主森家が改易(かいえき)となり,出雲(いずも)松江藩につかえる。宝永3年3月2日死去。56歳。出雲出身。本姓土屋。名は勝明。通称はのち伊織。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長尾隼人の言及

【美作国】より

…このように財政問題,社会問題が深刻化する中で,97年(元禄10)藩主森長成が死去し,養嗣の衆利が発狂したため森家嫡流は断絶した。森家の家老長尾隼人は文化遺産の保護保存に意を注ぎ,院庄の遺跡や宇那提(うなで)の森の保護,地誌・民間伝承の記録につとめた。 97年美作国は収公されて天領となったが,翌年松平宣富が津山藩主に封ぜられ,津山以西を中心に10万石を与えられた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」