…ここに戦国末期から藩政期にかけて,塩田(しおた)と呼ばれる干拓新田が開発され,現在みられる高知平野となった。広義の範囲に含まれる香長平野は高燥で,その中の長岡台地は野中兼山の建設になる山田堰や用水路によって灌漑され,初めて水田化されたが,浦戸湾岸の狭義の高知平野はこれと対照的に低湿である。浦戸湾岸では古来,地震や台風時には浸水被害を受けることが多く,崖崩れ,地盤沈下などの問題も生じている。…
※「長岡台地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」