長崎奉行所西役所跡(読み)ながさきぶぎようしよにしやくしよあと

日本歴史地名大系 「長崎奉行所西役所跡」の解説

長崎奉行所西役所跡
ながさきぶぎようしよにしやくしよあと

[現在地名]長崎市万才町

近世、幕府直轄領の長崎町および周辺の村方などを管轄した役所の跡。たんに「西」「西御屋敷」とも記され、立山たてやま役所とともに「御両所」とも併称される(「唐通事会所日録」元禄元年四月条・同六年五月条など)。西屋敷の地に耶蘇寺が二ヵ寺あったが(華蛮交易明細記)、慶長一九年(一六一四)幕府が派遣した山口直友が肥前佐賀藩の兵などを動員して破却したという(長崎拾芥)。長崎を直轄地とした豊臣秀吉は天正一六年(一五八八)鍋島直茂(佐賀城主)代官とし、文禄元年(一五九二)寺沢正成(広高)を長崎奉行に任じた。この寺沢を長崎奉行の初代とするが、江戸幕府の機構のうちとしてその職務が整備されるのは寛永年間(一六二四―四四)とされる。慶長八年小笠原一庵(為宗)が任じられ(慶長日記)、同一〇年まで勤めている(長崎志)。同一一年長谷川藤広、寛永三年水野河内守守信、同六年に竹中采女正重義らが就任するが、この間は職名が奉行とも代官とも混用される。寺沢氏から長谷川権六までは代官で、水野守信から奉行とする例もある(「柳営補任」五)。奉行は当初長崎に非常駐で一人、寛永一〇年には二人であったが、同一五年からは常駐となり一人在勤、一人在府で毎年九月(延享元年より一〇月)に交替することになった(崎陽群談)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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