長沢道寿(読み)ながさわ・どうじゅ

朝日日本歴史人物事典 「長沢道寿」の解説

長沢道寿

没年:寛永14.9.14(1637.10.31)
生年:生年不詳
江戸前期の医者。号は柳庵,丹陽坊,売薬山人。父の理慶も医者で山内一豊に仕えた。曲直瀬玄朔吉田宗恂 に医を学び,のち一豊に従って父と共に土佐に移り,父の没後(1611)家督を継いだが,間もなくこれを辞して上京織田信雄に仕え,これも辞して以後市井の医として活躍,「土佐の道寿」と医名を博した。古林見宜とは曲直瀬の同門。弟子に中山三柳 がいる。著書のうち『医方口訣集(愚按口訳集)』は臨床的価値が高く,現在もなお漢方界で用いられている。

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長沢道寿」の解説

長沢道寿 ながさわ-どうじゅ

?-1637 江戸時代前期の医師
土佐(高知県)の人。曲直瀬玄朔(まなせ-げんさく),吉田宗恂(そうじゅん)にまなぶ。父理慶とおなじく山内一豊の侍医となる。のち辞して京都で開業し「土佐の道寿」とよばれた。寛永14年9月14日死去。号は柳庵,丹陽坊,売薬山人。著作に「医方口訣(くけつ)集」「治例問答」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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