日本大百科全書(ニッポニカ) 「長浜別院」の意味・わかりやすい解説
長浜別院
ながはまべついん
滋賀県長浜市元浜町にある寺。長浜別院大通寺といい、真宗大谷派の別院の一つ。初めは長浜城址(じょうし)にあって、阪田、浅井、伊東3郡の総坊であった。1639年(寛永16)、東本願寺13世宣如(せんにょ)が堂舎を造営しようとしたが、土地が狭隘(きょうあい)であったため、春日局(かすがのつぼね)を通じて当国領主の井伊直孝(なおたか)にこの地を寄進せしめ、本願寺の旧堂を移して三男宣澄(のぶすみ)を住職とした。それ以降歴代本山の連枝(法主の子)をもって住職とすることが原則となった。本堂(阿弥陀(あみだ)堂)、広間、玄関はその際移建されたもので、伏見(ふしみ)城遺構の一部である。客殿含山軒(がんざんけん)は江戸初期の書院建築で、蘭亭(らんてい)と廊下伝いにつながっている(以上、国の重要文化財)。そのほか蘭亭庭園などの名勝や、円山応挙(まるやまおうきょ)の蘭亭曲水宴(きょくすいのえん)障壁画などの寺宝がある。石山合戦には門末こぞって功績をあげた湖北の名刹(めいさつ)である。
[森 章司]