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井伊直孝 いいなおたか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

井伊直孝
いいなおたか

[生]天正18(1590)
[没]万治2(1659).6.28. 江戸
江戸時代前期の近江彦根藩主。直政の次男。通称弁之助。慶長 10 (1605) 年4月従五位下掃部助に叙任。同 15年上野国碓氷1万石を領し,掃部頭と改め,書院番頭大番頭,伏見城番を歴任。元和1 (15) 年兄直勝に代って宗家を継ぐ。のち将軍徳川秀忠家光家綱を補佐。正保2 (45) 年左近衛中将となり,近江彦根,下野佐野その他を含む 30万石を領した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井伊直孝 いい-なおたか

1590-1659 江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)18年2月11日生まれ。井伊直政の次男。徳川秀忠につかえ,上野(こうずけ)(群馬県)白井に1万石をあたえられる。慶長20年病弱な兄直継(なおつぐ)(直勝)にかわって近江(おうみ)(滋賀県)彦根藩主井伊家2代となる。大坂夏の陣での大功などにより加増をかさね,30万石を領した。譜代大名筆頭の元老として将軍徳川家光,家綱を補佐。万治(まんじ)2年6月28日死去。70歳。駿河(するが)(静岡県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

井伊直孝

没年:万治2.6.28(1659.8.16)
生年:天正18(1590)
江戸前期の幕府重臣。井伊直政の次男。慶長8(1603)年徳川家康に拝謁,秀忠に付属される。同10年掃部助,のち掃部頭。書院番頭,大番頭などを勤め,元和1(1615)年2月,多病の兄直勝に代わり家督を相続し,近江国彦根藩(滋賀県彦根市)藩主。15万石を領す。大坂の陣では家康を守って日本一の大手柄と賞された。家康の命により,蜂須賀家政の娘と結婚。のち度々加増され,30万石となる。寛永9(1632)年,家光の親政がはじまると,譜代大名中の重鎮として大政参与を命じられるが,家光からは存在感がない,と叱責されている。江戸近辺の領地世田谷の豪徳寺に葬られた。<参考文献>山本博文『寛永時代』,藤井譲治『江戸幕府老中制形成過程の研究』

(山本博文)

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世界大百科事典 第2版の解説

いいなおたか【井伊直孝】

1590‐1659(天正18‐万治2)
江戸初期の幕府重臣。幼名弁之助。直政の庶子で駿河国藤枝に生まれる。父の死後,1603年(慶長8)14歳のとき徳川秀忠の小姓となる。書院番頭,大番頭を歴任して1万石を領し,掃部頭となる。兄直勝が多病のため,大坂の陣に出陣して軍功をあげ,徳川家康の命により家督を相続。33年(寛永10)加恩とも30万石を領す。終身江戸に在住し家光,家綱政権の枢機に参与した。【煎本 増夫】

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大辞林 第三版の解説

いいなおたか【井伊直孝】

1590~1659) 江戸初期の譜代大名。近江彦根藩の祖。掃部頭かもんのかみ。直政の二男。大坂冬・夏の陣に活躍。秀忠・家光・家綱三代に仕え、草創期にある幕政を補佐した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井伊直孝
いいなおたか
(1590―1659)

江戸初期、幕閣の元老の第一人者。駿河(するが)国(静岡県)藤枝に生まれる。直政(なおまさ)の庶子。兄直勝が多病のため彦根(ひこね)15万石を相続した。大坂冬の陣、夏の陣に先鋒(せんぽう)で軍功をあげ、領知を5万石加増され、さらに1617年(元和3)にも5万石の加増を受けた。2代将軍徳川秀忠(ひでただ)の没後、松平忠明らと一時幕政に参与した。1633年(寛永10)にも5万石(下野(しもつけ)佐野、武蔵(むさし)世田谷(せたがや))の加増があり、あわせて30万石を領した。これは譜代(ふだい)大名中抜群の領知高で、徳川氏の重鎮的地位が確定された。秀忠、家光(いえみつ)、家綱(いえつな)3代に仕え、1634年より江戸に終身定住する。幕閣の主要な会議には常時出席して幕政に献身し、元老として重んぜられた。直孝は決断力に優れ、また、質素倹約を重んじたことで徳川家康に似ていた。万治(まんじ)2年6月28日死去。墓所は東京・世田谷の豪徳寺。[煎本増夫]

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367日誕生日大事典の解説

井伊直孝 (いいなおたか)

生年月日:1590年2月11日
江戸時代前期の大名
1659年没

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世界大百科事典内の井伊直孝の言及

【井伊氏】より

…江戸時代の譜代大名の重鎮。浜名湖北辺井伊谷(いいのや)を出身とする遠江の名族である。井伊氏をはじめて名のったのは,系図上,共保(ともやす)のころ(寛弘~寛治。11世紀)といわれるが検討の要がある。おそらく鎌倉時代にいたって在地で武士団を形成し,南北朝内乱時では遠江の国人領主として注目される存在となっていた。井伊氏の活動が歴史上,具体的になるのは戦国争乱期である。家譜によれば,直宗,直盛は今川義元に仕え織田氏との合戦で戦死した。…

【彦根藩】より

…近江国(滋賀県)彦根に藩庁を置いた譜代大藩。1600年(慶長5)関ヶ原の戦で東軍の軍奉行(いくさぶぎよう)として戦功のあった徳川四天王の一人井伊直政は,翌01年石田三成にかわり佐和山城主に封じられ,近江国で15万石,上野国で3万石,計18万石の大名となった。02年直政は戦傷がもとで死去,嫡子直継は翌03年彦根山に築城工事を起こし,7ヵ国12大名の御手伝普請により22年(元和8)20年の歳月をかけ,彦根城の完成をみた。…

※「井伊直孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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