デジタル大辞泉
「春日局」の意味・読み・例文・類語
かすが‐の‐つぼね【春日局】
[1579~1643]江戸前期の大奥の女中。徳川3代将軍家光の乳母。稲葉正成の妻。名は福。家光が将軍継嗣になるのに功績があり、大奥を任せられ、権勢を振るった。
歌舞伎。時代物。5幕。明治24年(1891)東京歌舞伎座初演。演劇改良論者の福地桜痴が書き、9世市川団十郎が演じた活歴物の代表作。
杉本苑子の短編歴史小説。同作を表題作とする作品集は昭和45年(1970)刊行で、ほかに「女形の歯」「耳塚のすみれ」などを収録。
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かすが‐の‐つぼね【春日局】
- [ 一 ] 徳川三代将軍家光の乳母(うば)。斎藤利三の娘。名は福。稲葉正成の妻。家光が将軍継嗣になるため尽力し、のちに大奥を統率して勢力をふるった。天正七~寛永二〇年(一五七九‐一六四三)
- [ 二 ] 歌舞伎。時代物。五幕。福地桜痴作。明治二四年(一八九一)東京歌舞伎座初演。徳川二代将軍秀忠の後継竹千代の乳母として、国千代擁立をはかる高円(たかまど)らの陰謀に抗し、竹千代の世継の位置を守る春日局の苦心を脚色した。活歴を主張する桜痴が初めてその主張を具体化した作。
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春日局
没年:寛永20.9.14(1643.10.26)
生年:天正7(1579)
徳川3代将軍家光の乳母。通称お福。明智光秀の家老斎藤利三と稲葉通明の娘おあんとの子。父が光秀の本能寺襲撃に加担して斬首のうえ磔刑に処されたのち,母方の一族稲葉重通の養女となる。重通の養子正成の後妻となり,正勝,正定,正利を生む。正成は小早川秀秋に仕え,関ケ原の戦で功をあげるが,その後秀秋の許を離れ浪人。局は父の死後と夫の浪人中と2度にわたり辛酸をなめた。慶長9(1604)年家光の乳母となるべく江戸へ赴いて,大奥入りの前に夫と離別。家光の両親である2代将軍秀忠と御台所お江与の方(崇源院)が2歳下の弟忠長を溺愛したため家光の次期将軍の座が危うくなるや,局は伊勢参宮を口実に江戸を出て,駿府の大御所家康に直訴した。その結果,家康の計らいにより家光の世嗣としての立場が確立する。寛永6(1629)年朝廷との間で起きた紫衣事件の解決のため,幕府は局を上洛させる。局は中宮和子(東福門院,秀忠の娘)に伺候,三条西実条の妹という資格で天皇に拝謁し,春日の局号と緋袴を賜った。しかしこの参内に公家達は反発,後水尾天皇は譲位する。 局は大奥の制度を整え,掟なども制度化したという。また大奥を掌握したのみでなく,表に対しても発言力があった。老中堀田正盛,松平信綱らも年少のころから家光の側近くに仕え,局の大きな影響を受けて育った。局の縁故により前夫正成は2万石の大名となり,長男正勝は老中に出世し,兄斎藤利宗・三存も旗本に取り立てられた。局自身も代官町と春日町に屋敷を賜り,3000石を領した。没後は自らが建立した江戸湯島天沢寺(麟祥院)に葬られた。今も麟祥院に残る緋袴を着した春日局像は,局の還暦祝に家光が狩野探幽に描かせたものといわれる。<参考文献>『柳営婦女伝系』8巻(『徳川諸家系譜』1巻),『春日局譜略』,福地桜痴『春日局賢女亀鑑』,三田村鳶魚『御殿女中』
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春日局 (かすがのつぼね)
生没年:1579-1643(天正7-寛永20)
徳川家光の乳母。お福ともいう。父は明智光秀の重臣斎藤利三,母は稲葉通明の女。従兄稲葉重通の養女となり,その養子正成に嫁し,正勝ら4男を生む。のち正成と離別して大奥に仕え,1604年(慶長9)家光の誕生にともなってその乳母となる。後年,家光・忠長兄弟の嫡庶争いのとき,局はひそかに駿府の大御所家康に直訴し,家光の世嗣決定に大きな役割を果たした。大奥を統率し,もろもろの〈掟〉を制定したといい,また大名証人のうち,女子のことはすべて局一人の沙汰するところであったという。その影響力は将軍家光をはじめ幕府の内外におよんだ。29年いわゆる紫衣(しえ)事件のさなか,局は秀忠の内意をうけて上洛し,参内して後水尾天皇に拝謁した。このとき春日の局号を賜って,公家三条西実条の猶妹となった。局との縁故で幕府に登用されたものは多く,夫正成は大名,子正勝は老中,兄斎藤利宗・三存,女婿堀田正吉は旗本,なかでも正吉の子正盛は老中をへて家光側近随一の重臣に取り立てられた。晩年,湯島に天沢寺を建立し,34年,子正勝没後は麟祥院と称した。東京都文京区春日の地名は,そこに局の屋敷のあったことに由来する。
執筆者:北原 章男
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春日局
かすがのつぼね
(1579―1643)
徳川家光(いえみつ)の乳母(うば)。名は福。父は明智光秀(あけちみつひで)家臣斎藤利三(としみつ)。母方の一族稲葉重通(しげみち)の養女となり、同養子正成(まさなり)に嫁し正勝らを産み、のち離婚。1604年(慶長9)家光出生に際し板倉勝重(かつしげ)の推挙により乳母となる。家光には2歳下の弟忠長(ただなが)があり、父秀忠(ひでただ)はこれを偏愛し、やがて継嗣(けいし)の序列も逆転するような状況に至る。局はこれを憂え、15年(元和1)伊勢(いせ)参宮に託して駿府(すんぷ)に至り大御所家康にこの旨を訴え、家康の取り計らいにより家光は世子と定まった。世にこれを「春日の抜参り」という。26年(寛永3)秀忠室浅井氏の没してのち、局は大奥を統率し、絶大な権勢を振るうとともに、将軍家光に対しても影響力をもった。
1629年後水尾(ごみずのお)天皇が幕府の処置に対し逆鱗(げきりん)あり譲位の意志を示すさなか、局は大御所秀忠の内意を受け上洛(じょうらく)し、参内して天盃を賜り春日局の号を許された。田安門内に宏壮(こうそう)な屋敷を営み、相州吉岡(神奈川県綾瀬(あやせ)市)に采地(さいち)3000石を領した。晩年、湯島(東京都文京区)に屋敷を賜り、天沢寺(のち麟祥院(りんしょういん))を建立し余生を過ごした。寛永(かんえい)20年9月14日没す。墓は湯島麟祥院にある。
[橋本政宣]
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春日局
かすがのつぼね
[生]天正7(1579).美濃
[没]寛永20(1643).9.14. 江戸
江戸時代初期,3代将軍徳川家光の乳母。父は斎藤利三,母は稲葉通明の娘。名は福。稲葉正成に嫁し,3子を産んだが,将軍家に家光が生れて,板倉勝重の推挙によりその乳母になると離婚した。秀忠は家光の弟忠長を寵愛したが,福は家光を世子とするのに尽力,家光が将軍となると,大奥の統率をまかされ,幕閣内外に力をふるった。寛永5 (1628) 年後水尾天皇が譲位の意向を示すと,福は秀忠の内命で翌年上洛,所司代と善後策を議して江戸に帰ったが,このとき,天皇は福に従三位,春日局の称号を授けた。田安門内の屋敷に住み,湯島の地に天沢寺を建立,家光から 300石の香火料を受けた。
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春日局【かすがのつぼね】
徳川家光の乳母。明智光秀の臣斎藤利三(としみつ)の女で,名はお福。稲葉正成(まさなり)に嫁し稲葉正勝ら4男を生む。家光出生とともに乳母となる。家光の将軍継嗣問題では駿府の大御所家康に直訴するなど尽力,後に大奥内外に勢力を振るう。現在の東京都文京区春日の地名は春日局の屋敷があったことに由来。
→関連項目後水尾天皇
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春日局
かすがのつぼね
1579~1643.9.14
3代将軍徳川家光の乳母。明智光秀の重臣斎藤利三(としみつ)の女。母は稲葉通明の女。名は福。父利三が山崎の戦で没したため母方に身を寄せ,のち稲葉正成の後妻となり,4男を生む。1604年(慶長9)家光の誕生にともない,その乳母となる。家光・忠長の世嗣争いの際に,徳川家康に訴えて家光の世嗣決定をみた話は有名。徳川秀忠の御台所崇源院没後は大奥を統率した。29年(寛永6)秀忠の内意により上洛。武家伝奏三条西実条(さねえだ)の猶妹(ゆうまい)となり,後水尾(ごみずのお)天皇の譲位問題にゆれる宮中に参内し対面,春日局の名を賜る。影響力は幕府内外に及び,その縁故で出世した者も多い。また江戸湯島に天沢寺を建立。34年子の稲葉正勝没後,麟祥院と称した。
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春日局(4) かすがのつぼね
1579-1643 江戸時代前期の女性。
天正(てんしょう)7年生まれ。斎藤利三の娘。稲葉正成にとつぎ,正勝らを生む。慶長9年(1604)板倉勝重の推挙で徳川家光の乳母となる。家光と弟忠長との将軍継嗣問題で徳川家康にうったえ,家光の世子決定を実現。大奥に絶大な権力をふるう。のち後水尾天皇から春日局の称をうけた。寛永20年9月14日死去。65歳。名は福。
【格言など】西に入る月を誘ひ法(のり)を得て今日ぞ火宅を逃れぬるかな(辞世)
春日局(3) かすがのつぼね
?-? 鎌倉-南北朝時代の女性。
西園寺公宗(きんむね)の妻(日野名子(めいし))の侍女。建武(けんむ)2年(1335)公宗が後醍醐(ごだいご)天皇暗殺未遂の罪で殺された数ヵ月後,名子が男子(実俊(さねとし))を出産。後醍醐天皇の命で遺児捜索にあたった源定平に応対し,和歌にたくして遺児の死をほのめかし,その命をすくったという。
春日局(1) かすがのつぼね
?-? 平安時代後期の女官。
徳大寺実能(さねよし)の娘。鳥羽(とば)天皇(在位1107-23)の皇后美福門院につかえる。のち天皇の後宮にはいり頌子(しょうし)内親王をもうけた。
春日局(2) かすがのつぼね
?-1180 平安時代後期の女官。
中原師元(もろもと)の娘。二条天皇の後宮にはいり僐子(ぜんし)内親王(賀茂斎院)を生んだ。治承(じしょう)4年6月死去。
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春日局
かすがのつぼね
1579〜1643
江戸前期,3代将軍徳川家光の乳母 (うば)
明智光秀の家臣斎藤利三の娘。稲葉正成の妻で,名は福。1604年家光が出生すると乳母になり,父将軍秀忠が家光の弟忠長を後継にたてようとしたのを大御所家康に願って阻止したという。家光の将軍就任後大奥の実権を握った。上洛して後水尾天皇に拝謁,春日局と称した。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
春日局
かすがのつぼね
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 作者
- 福地桜痴
- 補作者
- 大村嘉代子
- 初演
- 明治24.6(東京・歌舞伎座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
春日局
1989年放映のNHKの大河ドラマ。江戸幕府三代将軍・徳川家光の乳母春日局の生涯を描く。脚本:橋田壽賀子。音楽:坂田晃一。出演:大原麗子、佐久間良子、山下真司ほか。
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世界大百科事典(旧版)内の春日局の言及
【活歴物】より
…こうした団十郎らの熱意とは裏腹に,一般観客の評判は悪く,新聞からも批判され知識人の支持もしだいに失い,明治20年代後半には終焉した。現在も演ぜられる活歴物あるいは活歴的演出の作品には《増補桃山譚》(1873),《北条九代名家功》(1884)等の黙阿弥作品,《春日局》(1891),《大森彦七》(1897)などの福地桜痴作品があげられる。[演劇改良運動]【林 京平】。…
【堀田正俊】より
…3代将軍徳川家光の腹心堀田正盛の三男。1635年(寛永12)家光の乳母春日局の養子となり,41年世子家綱の小姓を務め,43年春日局の遺領3000石を相続。51年(慶安4)父正盛の遺領から1万石を分与され,従五位下備中守に叙任。…
※「春日局」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」