日本大百科全書(ニッポニカ) 「長浜曳山狂言」の意味・わかりやすい解説
長浜曳山狂言
ながはまひきやまきょうげん
滋賀県の長浜八幡宮(はちまんぐう)(長浜市宮前(みやまえ)町)の春祭(4月13~16日)に曳山(ひきやま)の上で行われる子供歌舞伎(かぶき)。羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉が城主のとき男子出生を祝って町民に賜った砂金を基金として曳山を整えたのが発端といい、当時の古材も残る。今日伝わるのは上層に亭(ちん)を備えた建築美あふれる豪華な曳山で12台あるが、1755年(宝暦5)作の青海山が最古(ただし亭は1805年の作)。曳山狂言の初発は1769年(明和6)で、歌舞伎の爛熟(らんじゅく)期にあたる。長浜では単に芸ともいうが、5、6歳から11、2歳までの男子のみで義太夫(ぎだゆう)狂言を演じる。1954年(昭和29)以来4台ずつ3年交替で勤め、申し合わせで40分以内ずつの4演目が毎年演じられる。「長浜曳山祭の曳山行事」は国の重要無形民俗文化財。
[西角井正大]