長瀬館跡(読み)ながせやかたあと

日本歴史地名大系 「長瀬館跡」の解説

長瀬館跡
ながせやかたあと

[現在地名]丸子町大字長瀬

鎌倉時代長瀬村にあったと伝える小県の豪族長瀬氏の居館。長瀬氏は木曾義仲が小県郡依田城に拠って兵を挙げた時、義仲を迎えた中心人物と伝えられる。「参考源平盛衰記」に「木曾が従弟ニ信濃国住人長瀬判官代義員ト名乗テ」として長瀬氏が登場する。義員は木曾義仲に従い、元暦元年(一一八四)正月の宇治川合戦にも名がみえる(「平家物語」には重綱とみえている)。のち京都四条河原で討死。承久三年(一二二一)六月承久の乱に上皇方・北条方にそれぞれ長瀬氏の名がみえる(承久記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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