長谷場村(読み)はせばむら

日本歴史地名大系 「長谷場村」の解説

長谷場村
はせばむら

[現在地名]津市片田長谷場かただはせば

産品うぶしな村の南、安濃あのう郡南部丘陵の北にある。天正一四年(一五八六)写の安濃津上分記(神宮文庫蔵)に「はせは」とあり、文禄検地帳の転記とみられる伊勢国中御検地高帳には片田村に含まれ、「五鈴遺響」も片田郷のうちとする。慶安郷帳(明大刑博蔵)は「長谷場村」と独立している。弥生式土器破片や石鏃などを少量出土し、丘陵上には古墳数基がある。


長谷場村
はせばむら

[現在地名]田沼町長谷場

白岩しらいわ村の南、はた川流域の段丘上に集落が形成される。東は御神楽みかぐら村、西は閑馬かんま村、南は岩崎いわざき村・梅園うめぞの村。寛文八年(一六六八)野上のがみ村が分村して成立したとみられる。天和二年(一六八二)の分郷配当帳に村名がみえ、元禄郷帳では高五〇八石余。天和二年から旗本荒河領(三五〇石)・同秋山領(一七九石余)の二給(分郷配当帳)


長谷場村
はせばむら

中世の鹿児島郡内の村。長谷庭とも記された。現福昌ふくしよう寺墓地付近に字名が残る。元応二年(一三二〇)の沙弥阿妙譲状(長谷場文書)に「麑嶋郡長谷場村」とみえ、阿妙は矢上時澄の手から譲りえた重代相伝の田一町と「はせはの園」のうち五反などを庶子の乙房丸に譲与している。その後阿実(乙房丸か)から純阿に譲られ、このうちの田五反などが貞和六年(一三五〇)二月一五日次男の久純に譲られたが(「長谷場純阿譲状」同文書)、久純が死去したため、正平一四年(一三五九)六月二一日、鶴一丸に譲り直されている(「長谷場純阿・同実純連署譲状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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