門野幾之進(読み)カドノ イクノシン

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「門野幾之進」の解説

門野 幾之進
カドノ イクノシン


肩書
貴院議員(勅選),慶応義塾塾頭,千代田生命保険社長

生年月日
安政3年3月14日(1856年)

出生地
三重県

学歴
慶応義塾〔明治6年〕卒

経歴
福沢諭吉に知られ17歳で慶応義塾の助教授となり、明治11年板垣退助と共に立志社を興し湯島共慣義塾教頭となった。14年大隈重信らの立憲改進党創立に参加し、さらに時事新報社、交詢社設立にも尽力、15年慶応義塾塾頭となった。32年欧米を巡遊、帰国後、衆院議員となったが、実業界に転じ、37年千代田生命を創設、社長に就任。他に千代田火災、千歳海上火災、第一機罐保険の各社長、時事新報社会長、三井信託取締役、東邦電力監査役などを務めた。昭和7年勅選貴院議員。

没年月日
昭和13年11月18日

家族
弟=門野 重九郎(実業家)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「門野幾之進」の解説

門野 幾之進
カドノ イクノシン

明治・大正期の教育家,実業家 慶応義塾塾頭;千代田生命保険社長;貴院議員(勅選)。



生年
安政3年3月14日(1856年)

没年
昭和13(1938)年11月18日

出生地
三重県

学歴〔年〕
慶応義塾〔明治6年〕卒

経歴
福沢諭吉に知られ17歳で慶応義塾の助教授となり、明治11年板垣退助と共に立志社を興し湯島共慣義塾教頭となった。14年大隈重信らの立憲改進党創立に参加し、さらに時事新報社、交詢社設立にも尽力、15年慶応義塾塾頭となった。32年欧米を巡遊、帰国後、衆院議員となったが、実業界に転じ、37年千代田生命を創設、社長に就任。他に千代田火災、千歳海上火災、第一機罐保険の各社長、時事新報社会長、三井信託取締役、東邦電力監査役などを務めた。昭和7年勅選貴院議員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「門野幾之進」の解説

門野幾之進 かどの-いくのしん

1856-1938 明治-昭和時代前期の実業家,教育者
安政3年3月14日生まれ。16歳から母校慶応義塾でおしえ,明治16年教頭となる。この間,交詢社や時事新報社で活躍。37年千代田生命保険を創設して社長。千代田火災・千歳海上火災の社長もつとめた。貴族院議員。昭和13年11月18日死去。83歳。志摩(三重県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「門野幾之進」の解説

門野 幾之進 (かどの いくのしん)

生年月日:1856年3月14日
明治時代;大正時代の教育者;実業家
1938年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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