間城跡(読み)くしまじようあと

日本歴史地名大系 「間城跡」の解説

間城跡
くしまじようあと

[現在地名]串間市西方 上町

東を福島ふくしま川、西を天神てんじん川に挟まれ、北から南に突き出た丘陵部にある。眼下に平野部を一望できる。JR日南線によって城の東部を削り取られている。建武二年(一三三五)五月一一日の雑訴決断所牒案(比志島文書)に、「日向国櫛間院」とみえ、建武政権は中宮(詢子内親王)領日向国櫛間院雑掌弘成の訴えにより、守護島津貞久に下地を引渡さず城郭を構えて抵抗する野辺盛忠(久盛の子)鎮圧と城郭の破壊を命じている。同三年一一月二一日、大隅国禰寝清種は「太田城」に馳せ参じ、畠山直顕の使者結城行郷らとともに櫛間城に拠る肝付兼重方の野辺盛忠を攻撃し、盛忠は城を明渡して敗走した(暦応二年八月三〇日「建部清種軍忠状」池端文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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