串間市(読み)クシマシ

デジタル大辞泉 「串間市」の意味・読み・例文・類語

くしま‐し【串間市】

串間

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「串間市」の解説

串間市
くしまし

面積:二九四・九〇平方キロ

県の最南端に位置し、北は日南市・南那珂郡南郷なんごう町、東は日向灘、南は志布志しぶし湾に面し、西は北端の一部が都城市、大部分は鹿児島県曾於そお志布志町に接する。南東端に突出した都井とい岬から日向灘に面する海岸線および志布志湾に浮ぶ鬢垂びんだれ島一帯の海域は景観の美しさで知られ、日南海岸国定公園に含まれる。当市が面する日向灘にはちく島・こう島・とり島などがあり、都井岬のソテツ自生地は国指定特別天然記念物、同岬の岬馬およびその繁殖地、幸島のサル生息地、石波いしなみの海岸樹林は国指定天然記念物。主たる交通路は並走するJR日南線と国道二二〇号および東部の海岸線を結ぶ国道四四八号である。市名の串間は中世に当地域をさした櫛間くしま・櫛間院に由来。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡はみつかっていない。縄文時代草創期の遺跡は大平おおひら遺跡・西ノ園にしのその遺跡・三幸みこう第二遺跡で確認されている。このうち三幸ヶ野第二遺跡では一万一千年前とされる薩摩火山灰層の直下から隆帯文土器が多数出土した。続く早期の遺跡では猪之いのはえ遺跡・開尾ひらきお遺跡・とめ宇戸うと遺跡・後藤野ごとうの遺跡・村上むらかみ遺跡・三幸ヶ野第二遺跡が調査され、土器とともに調理用の炉と考えられる集石遺構が検出されている。後期の遺跡としては下弓田式土器の標式遺跡である下弓田しもゆみた遺跡と三幸ヶ野遺跡で竪穴住居跡が検出されている。弥生時代の遺跡では大田井丘おおたいがおか遺跡で祭祀にかかわるとみられる土器一括が出土した。ほかに唐人町とうじんまち遺跡や三幸ヶ野遺跡から竪穴住居跡が検出されている。

古墳時代の遺跡では、市内中央部に位置する福島ふくしま古墳群で地下式横穴墓一基・円墳一五基・前方後円墳三基の計一九基が確認されている。このうち規模の判明する前方後円墳で最大の剣城つるぎじよう塚は全長約六〇メートル。また志布志湾に面したおにじよう古墳群は七基からなり、一号墳は九州最南端の横穴式石室の古墳である。さらに日向灘に面した市木いちき古墳群では二基の円墳と三基の箱式石棺が確認されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「串間市」の意味・わかりやすい解説

串間〔市〕
くしま

宮崎県南端にあり,西は鹿児島県に接し,南西部は志布志湾に,南東部は太平洋にのぞむ市。 1954年福島町と大束,都井,本城,市木の4村が合体して市制市域の大部分は低山性の山地で,中心市街地の西方 (にしかた) は豊臣秀吉の九州統一後は高鍋藩秋月氏の城下町となり,そののち高鍋藩の飛び領地として明治にいたる。温暖な気候により柑橘類,熱帯果樹の栽培,野菜の促成栽培が行われる。沿岸部では小規模な沿岸漁業,養殖漁業が行われる。東部の海岸地帯は日南海岸国定公園に属し,ソテツ自生地 (特別天然記念物) をはじめ,都井岬の岬馬,野猿生息地幸島,石波の海岸樹林 (以上天然記念物) に多くの観光客が集る。 JR日南線,国道 220号線,448号線が通じる。面積 295.17km2。人口 1万6822(2020)。

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