朝日日本歴史人物事典 「関喜内」の解説
関喜内
生年:宝暦9.6.1(1759.6.25)
江戸後期,出羽国雄勝郡川連村(秋田県稲川町)の肝煎。秋田藩に養蚕業の普及を建言した。同村枝郷野村の農業大関喜四郎の第4子で,肝煎佐藤七右衛門の筆役を務めたのち,享和1(1801)年より肝煎となる。同村枝郷上野村に移住し関を名乗る。文政3(1820)年福島産の蚕種紙を追放し国産種紙の生産を建言。同9(1826)年,秋田藩勘定方役人金易右衛門の支持を得て秋田郡川尻村(秋田市)に藩営の養蚕座が設立され,その支配人となる。蚕種紙の移出,桑の植え立てなど養蚕業の普及に尽力した。<参考文献>『稲川町史』
(渡辺英夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報