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関喜内 せき きない

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

関喜内 せき-きない

1759-1837 江戸時代中期-後期の養蚕家。
宝暦9年6月1日生まれ。出羽(でわ)雄勝郡(秋田県)川連村の肝煎(きもいり)(名主)役。文化3年陸奥(むつ)伊達郡(福島県)から養蚕技術者をまねき蚕種製造技術をならわせた。のち久保田藩の養蚕方支配人をつとめる。天保(てんぽう)8年6月23日死去。79歳。本姓は大関。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

関喜内

没年:天保8.6.23(1837.7.25)
生年:宝暦9.6.1(1759.6.25)
江戸後期,出羽国雄勝郡川連村(秋田県稲川町)の肝煎。秋田藩に養蚕業の普及を建言した。同村枝郷野村の農業大関喜四郎の第4子で,肝煎佐藤七右衛門の筆役を務めたのち,享和1(1801)年より肝煎となる。同村枝郷上野村に移住し関を名乗る。文政3(1820)年福島産の蚕種紙を追放し国産種紙の生産を建言。同9(1826)年,秋田藩勘定方役人金易右衛門の支持を得て秋田郡川尻村(秋田市)に藩営の養蚕座が設立され,その支配人となる。蚕種紙の移出,桑の植え立てなど養蚕業の普及に尽力した。<参考文献>『稲川町史』

(渡辺英夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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