ポンバル(その他表記)Sebastião José de Carvalho e Melo, marquês de Pombal

改訂新版 世界大百科事典 「ポンバル」の意味・わかりやすい解説

ポンバル
Sebastião José de Carvalho e Melo, marquês de Pombal
生没年:1699-1782

ポルトガルの啓蒙専制政治家。リスボンの小貴族に生まれ,前半生はまったく無名であったが,1738年から49年までロンドン,ウィーン大使として赴任。50年ジョアン5世の後を継いだジョゼ1世によって登用された。55年の大震災で壊滅したリスボンの再興によって国王全幅の信頼を得,以後20余年あらゆる分野にわたって独裁政治をしいた。まず,先王ジョアン5世の末期に弛緩した王権の強化を目ざし,大貴族と教会勢力を徹底的に弾圧した。58年国王暗殺陰謀を企てたアベイロ公,タボラ一族を粛清し,さらに59年には国家のあらゆる分野に強大な影響力をもつイエズス会をこの陰謀に荷担したとして本国ブラジルから追放し,その莫大な資産を没収した。また,国家から独立している宗教裁判所を王立裁判所に組み込み,検閲およびイエズス会が支配していた教育を国家の統制下に置いた。これらの世俗化と並行して,新旧キリスト教徒の差別を撤廃して新キリスト教徒にも公職につく機会を与え,またブラジルにおける白人原住民の平等化,国内の奴隷解放など社会の平準化を実施した。

 経済政策では,17世紀後半以降深まった対英経済従属から脱却するために,ブルジョアジーの支援を得て各種植民地交易の独占会社を創設し,植民地交易からの収益増大を図った。国内では〈アルト・ドウロブドウ会社〉を設立して,ポートワイン取引を牛耳っていたイギリス商人に対抗すると同時に,小麦畑を犠牲にして過度に拡大したブドウ栽培を厳しく抑制した。しかし,60年代後半からブラジルの金の生産が激減し,植民地交易も停滞したため,独占会社中心の植民地交易重視政策から国内工業化政策に転換し,各地に毛織物,絹織物などのマニュファクチュアの設立保護に乗り出した。77年ジョゼ1世の死によりポンバルは失脚するが,彼の政策の多くはマリア1世治世下にも継続された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポンバル」の意味・わかりやすい解説

ポンバル
Pombal, Sebastião José de Carvalho e Mello, Marquês de

[生]1699.5.13. リスボン
[没]1782.5.8. ポンバル
ポルトガルの政治家。侯爵。1733年王立歴史学会会員。1738~43年ロンドン,1745~49年ウィーンに大使として駐在後,1750年ジョゼ1世の即位とともに外務大臣になった。リスボン地震に際して機敏適切な処置をとり王の信頼を深め,1756年首相に就任。1769年ポンバル侯。政策の重点は啓蒙専制主義の確立と,メスエン条約締結後,対イギリス従属状態にあったポルトガル経済の改革であった。ぶどう酒の品質改良や養蚕を奨励し,新旧工業を振興して特許会社を設立するなど,産業の資本主義的発展をはかった。また,ぶどう酒会社に専売権を与え,イギリスの利益に寄与するイエズス会の商業活動を封じた。1759年王の暗殺を計画した嫌疑で多くの貴族を処刑し,無国籍的なイエズス会を国外に追放,1759~64年教会を王の直轄とした。このイエズス会の解散は,1764年のフランス,1767年のスペイン,1773年の教皇にいたる,イエズス会強制解散の先鞭をつけた。このほか農業や教育の改革にも力を注いだ。ジョゼ1世没後,1777年マリア1世により失脚させられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポンバル」の意味・わかりやすい解説

ポンバル
ぽんばる
Marquês de Pombal, Sebastião José de Carvalho e Melo
(1699―1782)

ポルトガルの政治家。リスボンに生まれる。1739年から1749年まで外交官としてロンドン、ウィーンに勤務。1750年即位した国王ジョゼ1世José Ⅰ(1714―1777、在位1750~1777)に抜擢(ばってき)され、1755年の大震災で壊滅したリスボン市の復興に辣腕(らつわん)を振るい、国王の全面的な信頼を得た。ポンバルは啓蒙(けいもう)主義独裁者として、先進国からの遅れが目だつポルトガルを近代化するために、大貴族の弾圧やイエズス会の追放によって王権を強化し、財政、行政、軍事、教育など全面的な改革を試みた。イエズス会によって独占されていた教育に啓蒙主義の新しい教育法を導入し、国内の奴隷制、新旧キリスト教徒の差別を廃止した。経済面では、彼の統治期にブラジルの金生産が激減したため、独占会社を設立して植民地交易の拡大に努めたが、のちマニュファクチュアの保護育成、ポートワインの輸出増強など国内産業の振興策をとった。大震災後のリスボンを近代都市として復興させた彼の業績は、今日も高く評価されている。

[金七紀男]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ポンバル」の解説

ポンバル
Marquês de Pombal (本名 Sebastião José de Carvalho e Melo)

1699~1782

ポルトガル啓蒙改革の中心人物。ロンドン公使,ウィーン特使を経験したのち,1750年のジョゼ1世即位とともに外務兼陸軍大臣に起用され,国政を担当することになる。55年のリスボン大地震の際に手腕を発揮し,独占会社の設立など重商主義的政策を推し進め,経済的な建て直しを図る一方,イエズス会士の追放や教育改革,異端審問所の改編,新キリスト教徒(改宗ユダヤ人)差別の撤廃など啓蒙的改革も推進した。77年のジョゼ1世の死とともに失脚。

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世界大百科事典(旧版)内のポンバルの言及

【ブラジル】より

…正式名称=ブラジル連邦共和国Repúblic Federativa do Brasil面積=854万7404km2人口(1996)=1億5787万人首都=ブラジリアBrasilia(日本との時差=-12時間)主要言語=ポルトガル語通貨=クルゼイロCruzeiro南アメリカ大陸のほぼ中央,大西洋側にある共和国。国土は南アメリカ大陸の47%を占め,面積では世界第5位。日本の約23倍ある。熱帯圏にある白人人口が優位な国としては世界最大。…

【ベルネイ】より

…ポルトガルの啓蒙主義者。フランス人を父にリスボンの富裕なブルジョアの家庭に生まれ,エボラ大学で神学を学ぶ。1736年ローマに渡り,以後二度と帰国することはなかった。主著《真の学問方法論》(1747)でポルトガルの後進性を指摘し,イエズス会の主導する伝統的な教育法を批判した。同書は異端審問で発禁となったが,自然科学を重視するその教育法は,59年イエズス会を追放したポンバルの教育改革の基本として採用された。…

【ポルトガル】より

南蛮貿易ポルトガル文学【山本 徹】。。…

【リスボン】より

…ポルトガルの首都であり,同国最大の都市。人口81万7627(1981)。ポルトガル語ではリズボアLisboa。イベリア半島のほぼ西端,テージョ川の河口から上流12kmの右岸に位置する。狭い河口に守られた港は自然の良港で,ヨーロッパ有数の中継港。温和な気候に恵まれ,年平均気温は16.8℃,年降水量761mm。雨は冬に集中し夏は乾燥する。〈七つの丘の都〉と呼ばれる同市の地形は起伏が激しく,市街地には急な坂道が多い。…

※「ポンバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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