ポンバル(読み)ぽんばる(英語表記)Marquês de Pombal, Sebastião José de Carvalho e Melo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポンバル」の意味・わかりやすい解説

ポンバル
Pombal, Sebastião José de Carvalho e Mello, Marquês de

[生]1699.5.13. リスボン
[没]1782.5.8. ポンバル
ポルトガルの政治家。侯爵。1733年王立歴史学会会員。1738~43年ロンドン,1745~49年ウィーン大使として駐在後,1750年ジョゼ1世即位とともに外務大臣になった。リスボン地震に際して機敏適切な処置をとり王の信頼を深め,1756年首相に就任。1769年ポンバル侯。政策の重点啓蒙専制主義の確立と,メスエン条約締結後,対イギリス従属状態にあったポルトガル経済の改革であった。ぶどう酒の品質改良や養蚕を奨励し,新旧工業を振興して特許会社を設立するなど,産業の資本主義的発展をはかった。また,ぶどう酒会社に専売権を与え,イギリスの利益に寄与するイエズス会の商業活動を封じた。1759年王の暗殺を計画した嫌疑で多くの貴族を処刑し,無国籍的なイエズス会を国外に追放,1759~64年教会を王の直轄とした。このイエズス会の解散は,1764年のフランス,1767年のスペイン,1773年の教皇にいたる,イエズス会強制解散の先鞭をつけた。このほか農業や教育の改革にも力を注いだ。ジョゼ1世没後,1777年マリア1世により失脚させられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポンバル」の意味・わかりやすい解説

ポンバル
ぽんばる
Marquês de Pombal, Sebastião José de Carvalho e Melo
(1699―1782)

ポルトガルの政治家。リスボンに生まれる。1739年から1749年まで外交官としてロンドン、ウィーンに勤務。1750年即位した国王ジョゼ1世José Ⅰ(1714―1777、在位1750~1777)に抜擢(ばってき)され、1755年の大震災で壊滅したリスボン市の復興に辣腕(らつわん)を振るい、国王の全面的な信頼を得た。ポンバルは啓蒙(けいもう)主義独裁者として、先進国からの遅れが目だつポルトガルを近代化するために、大貴族の弾圧やイエズス会の追放によって王権を強化し、財政、行政、軍事、教育など全面的な改革を試みた。イエズス会によって独占されていた教育に啓蒙主義の新しい教育法を導入し、国内の奴隷制、新旧キリスト教徒の差別を廃止した。経済面では、彼の統治期にブラジルの金生産が激減したため、独占会社を設立して植民地交易の拡大に努めたが、のちマニュファクチュアの保護育成、ポートワインの輸出増強など国内産業の振興策をとった。大震災後のリスボンを近代都市として復興させた彼の業績は、今日も高く評価されている。

[金七紀男]

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