日本歴史地名大系 「川連村」の解説
川連村
かわつらむら
とみえ、金銭の貸借関係があった。
小野寺家系図(小野寺氏研究資料)には晴道の四男道俊が一六世紀半ばに川連氏を名乗ったとある。天正一八年(一五九〇)の太閤検地の際の算用書写(色部文書)に
とあり、川連氏は独立性の強い豪族であったと思われる。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に一千八二石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)では高は本田一千三六七石八斗一升八合、新田三七二石二斗六升四合、合計一千七四〇石八升二合(当高一千八二四石七斗八合)。
川連村
かわつれむら
川連村
かわづれむら
- 茨城県:下館市
- 川連村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報