阿佐美村(読み)あざみむら

日本歴史地名大系 「阿佐美村」の解説

阿佐美村
あざみむら

[現在地名]笠懸村阿左美あざみ

大間々おおまま扇状地東端に広がり、南東八王子はちおうじ丘陵。東に阿左美沼、西に琴平こんぴら山がある。岩宿いわじゆく竹沢たけざわ桜塚さくらづかなかなどの集落からなる。北は山田郡下新田しもしんでん(現桐生市)、南東は藪塚やぶづか(現藪塚本町)、西は鹿田しかだ村・鹿川かのかわ村。北部から岡登おかのぼり用水が南へ通り、竹沢地内で南東と西へ分れともに南に向かっていた。同用水は明治六年(一八七三)に再開発となるまで通水していない。「和名抄」の新田郡淡甘たこう郷を当地に比定する説もある。中世には新田庄内北端に位置する。嘉応二年(一一七〇)の新田庄田畠在家目録写(正木文書)に田四町一反三〇代・畠四町三反二〇代・在家七宇の郷として「あさミの郷」がみえる。岩松氏が国人として成長する過程でその支配に属したが(応永一一年四月七日「新田庄内惣領知行分注文写」同文書)、郷内の一部下阿佐見郷は新田庶家の田中民部大輔に充てられた(年月日未詳「新田庄内岩松方庶子方寺領等注文」同文書など)。一方、岩松方の上阿佐見郷は西隣の国人赤堀氏に押領され不知行化していた(年月日未詳「岩松持国知行分注文」同文書)。応永二二年(一四一五)八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)によると、阿佐美郷八町六反四〇代に即位段銭がかけられている。この田数は前出嘉応二年時の田畠合計に一致する。

寛文郷帳では田方二〇九石一斗余・畑方八三一石八斗余、芝野有と記される。旗本小栗領。のち幕府領となり、慶応三年(一八六七)前橋藩領。元禄郷帳では当村高の内として岩宿村がみえる。阿左美沼の北方岩宿・竹沢組と南西阿左あざ村・同新田は当村持で、竹沢は中世の上阿佐見郷にあたるとされ、岩宿・阿左村は寛文年中(一六六一―七三)の開発。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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