日本歴史地名大系 「阿弥神社」の解説 阿弥神社あみじんじや 茨城県:稲敷郡阿見町竹来村阿弥神社[現在地名]阿見町竹来台地の縁辺に霞ヶ浦を背にして鎮座する。祭神は武甕槌命。旧県社。例祭は一〇月五日で近郷はこの日を「マチ」とよび甘酒をつくり仕事を休んで祝う。永和元年(一三七五)一一月日の信太荘上下条寺社供僧等申状案(円密院文書)に「右寺社者、往古之仏閣、数代之社等也、就中木原・竹来両社者、庄内第一之惣廟也」とあり、信太(しだ)庄上条(じようじよう)の総鎮守といわれ、木原(きはら)(現美浦村)楯縫(たてぬい)神社の一宮に対し二宮明神ともいわれた。 阿弥神社あみじんじや 茨城県:稲敷郡阿見町阿見村阿弥神社[現在地名]阿見町阿見阿見の鎮守で、祭神は豊城入彦命。旧郷社。例祭は一〇月一日。竹来(たかく)にも同名の神社があり、「延喜式」神名帳にある阿弥神社がいずれかは不明。「郡郷考」などは阿見とし、「大日本史」「常陸二十八社考」などは竹来とする。「常陽式内鎮座本紀」は「上古安見・竹来為一村、故両社共曰阿弥神社、式内何歟不詳」と記す。安永一〇年(一七八一)には式内社阿弥神社の帰属をめぐって阿見の熊野権現別当滝音(りゆうおん)院が竹来社を相手に訴訟を起こし、文政三年(一八二〇)には竹来社が阿見社を訴えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by