阿見(読み)あみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿見」の意味・わかりやすい解説

阿見(町)
あみ

茨城県南部、稲敷郡(いなしきぐん)にある町。1945年(昭和20)町制施行。1955年朝日、君原(きみはら)の2村と合併、同年舟島(ふなしま)村を編入町名は、古くからの中心集落の阿見による。霞ヶ浦(かすみがうら)に臨む低地と、広大な台地をもち、夏は県内でも暑い所である。首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が南部を横断し、牛久市との境に牛久(うしく)阿見、阿見東の両インターチェンジがあり、国道125号が走る。北西を土浦市に接し、1922年(大正11)霞ヶ浦海軍航空隊が置かれて以来、航空基地として発展、第二次世界大戦まではパイロット養成を主とし、とくに「予科練」(海軍飛行予科練習生)の養成で有名。軍事施設は、戦後茨城大学農学部、陸上自衛隊武器学校、同関東補給処のほか、病院、工場、住宅地となった。農業はラッカセイ栽培が盛んで、スイカ、メロン、蓮根(れんこん)も多い。筑波(つくば)南第一工業団地、福田工業団地などがあり、食品、薬品、電気機械などの工業が発達した。土浦市域のJR常磐(じょうばん)線荒川沖駅に近く、東京への通勤者も増加している。面積71.40平方キロメートル、人口4万8553(2020)。

[櫻井明俊]


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改訂新版 世界大百科事典 「阿見」の意味・わかりやすい解説

阿見[町] (あみ)

茨城県南部,稲敷郡の町。人口4万7940(2010)。霞ヶ浦南岸に位置し,湖岸沿いの低地のほかは台地が大部分を占める。古くから開けた地で,縄文時代の宮平貝塚などがあり,《延喜式》の式内社阿弥(あみ)神社もある。平安末期から室町時代にかけては信太荘の荘域に含まれていた。明治期から第2次世界大戦後まで台地の開墾が行われ,1960年ころまで麦,サツマイモなどの生産が中心であった。63年に首都圏市街地開発区域に指定され,工場誘致を進めた結果,食品,農業機械,化学などの工場が進出した。1997年現在,二つの工業団地がある。70年ころから住宅地化が進み,土浦市への通勤者が増えている。1921年,阿見原に霞ヶ浦海軍航空隊が置かれ,第2次大戦中には湖畔に土浦海軍航空隊が設置されて,予科練の名で全国に知られた。現在も陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地のほか武器学校などがある。
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百科事典マイペディア 「阿見」の意味・わかりやすい解説

阿見[町]【あみ】

茨城県南部,霞ヶ浦南西部の台地を占める稲敷(いなしき)郡の町。中心の阿見は1921年霞ヶ浦海軍航空隊が置かれ,第2次世界大戦中予科練の名で全国に知られた。現在も自衛隊の武器学校などがある。工業団地が造成され,製造業が盛ん。スイカを産する。圏央道が通じる。東日本大震災で,町内において被害が発生。71.40km2。4万7940人(2010)。

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