日本歴史地名大系 「阿見村」の解説
阿見村
あみむら
[現在地名]阿見町阿見
現阿見町の北西端に位置し、北は
<資料は省略されています>
とあり、地頭駿河式部大夫高長の
天正一八年に蘆名盛重の領地となったが、慶長期(一五九六―一六一五)に旗本の久永・倉橋両氏の知行地となり(御めやすの事)、その後倉橋氏領は丹羽氏と土浦藩主朽木氏が領するようになった(寛文朱印留)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現阿見町の北西端に位置し、北は
とあり、地頭駿河式部大夫高長の
天正一八年に蘆名盛重の領地となったが、慶長期(一五九六―一六一五)に旗本の久永・倉橋両氏の知行地となり(御めやすの事)、その後倉橋氏領は丹羽氏と土浦藩主朽木氏が領するようになった(寛文朱印留)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...