日本歴史地名大系 「阿波堀川」の解説 阿波堀川あわぼりがわ 大阪府:大阪市西区阿波堀川慶長五年(一六〇〇)開削された堀川で(大阪市史)、東は西横堀(にしよこぼり)川に直角に接続し、西部では間に海部堀(かいふぼり)川を挟んで京町堀(きようまちぼり)川の南を西流、百間堀(ひやつけんぼり)川に注いでいた。両岸一帯の地域を阿波堀とよぶ。昭和三二年(一九五七)埋立てられ姿を消したが、現在の靭本(うつぼほん)町一―三丁目と西本(にしほん)町一―三丁目の境界となる道路がかつての流路にあたる。全長一〇町二七間、川幅は上流で一〇間、下流で一五間であったが、明和四年(一七六七)両岸が築立てられて八間となった(西区史)。名称の由来は豊臣政権期にこの辺り一帯が阿波座(あわざ)と称されていたためで、阿波座堀(あわざぼり)川ともいう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報