日本歴史地名大系 「阿見原」の解説 阿見原あみはら 茨城県:稲敷郡阿見町阿見村阿見原[現在地名]阿見町阿見標高二三メートル前後の台地上にあり、広さは東西三キロ余・南北四キロ余。阿見川・桂(かつら)川の水源地をなし、近世には刈草・薪・粗朶・萱などを採取する入会地であった。阿見原北部の阿見野は阿見村を野元とする七ヵ村の入会地で、面積は約四〇〇町、南部の荒川野(あらかわの)は荒川沖(あらかわおき)・本郷(ほんごう)・実穀(じつこく)三村を野元とする六ヵ村の入会地で、面積は約二四〇町であった。天文二三年(一五五四)の阿見・若栗(わかぐり)間の争いに始まり山の立出しや開墾をめぐる野論が頻発したが、元禄二年(一六八九)の評定所裁決でやっと解決した(「野境証文之事」酒井家文書)。元禄期には御立林が指定され、百姓林から山銭が徴収された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by