阿野郡(読み)あやぐん

日本歴史地名大系 「阿野郡」の解説

阿野郡
あやぐん

讃岐国の中央部に位置する。東は香川郡、西と南は鵜足うた郡と接し、北は瀬戸内海に面する。中央部をあや川、西部を土器どき川が北流する。現坂出市および綾歌あやうた郡の西半分を郡域とした。綾・安益・阿夜などとも記された。

〔古代〕

藤原宮跡出土木簡に「綾郡」と書いたものがある。「万葉集」巻一に「讃岐国安益郡に幸しし時、軍王の山を見て作る歌」として長歌と反歌を載せている。山上憶良の「類聚歌林」によれば、これは舒明天皇一一年に伊予温湯宮(現松山市)に行幸した帰途の歌とされている。この詞書は後世のもので、これをもって舒明朝に阿野郡が成立していたとはいえないが、「あや」の地名は当時からあったかもしれない。平城宮跡出土木簡には「阿野郡」「阿夜郡」「綾郡」などと様々に表記されている。「和名抄」では「阿野」と書いて訓注に「綾」とある。奈良・平安初期の史料から推定される当郡内の部としては、応神天皇皇子菟道郎子の名代という宇治部、雄略皇后草香幡梭姫の名代日下部、壬生部、伊与部などがある。天武天皇一三年(六八四)八色の姓制定に際し朝臣の姓を授けられた綾君は阿野郡を本拠とした豪族である。阿野郡の人綾公菅麻呂らは文武天皇三年(六九九)に朝臣の姓を賜ったが、養老五年(七二一)の造籍の時、庚午年籍を校して朝臣の姓を削除されたので旧に復してほしいと訴え、延暦一〇年(七九一)九月二〇日に許されている(続日本紀)。「日本書紀」景行天皇五一年八月四日条によると、綾氏の始祖は日本武尊の子武卵王となっているが、渡来人漢氏の一族とみる説もある。郡内(現坂出市)には朝鮮式山城の遺構があり、この地域に渡来人が居住していたことは間違いないと思われる。

「和名抄」記載の管郷は新居にいのみ山田やまだ羽床はいか甲智こうち鴨部かも氏部うじべ山本やまもと林田はいだ松山まつやまの九郷で、中郡である。甲智郷は讃岐国府の所在地であり、南海道河内こうち駅も置かれていた。隣接する新居郷には天平年間(七二九―七四九)讃岐国分寺が建立された。国分尼寺も同じ頃に建立されたと思われるが、現在は寺院跡を残すのみである。ほかに郡内の古代寺院としては、かつて国府の西に開法かいほう寺が存在しており、坂出市に地名・寺院跡を残す。松山郷の白峯しろみね(現坂出市)は弘法・智証両大師の建立と伝え、保元の乱に敗れて讃岐国に配流された崇徳上皇白峯陵が寺の北西にある。延喜式内社は名神大社城山きやま神社と小社のかも神社・神谷かんだに神社があり、それぞれ現坂出市に所在する同名社に比定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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