庚午年籍(読み)コウゴネンジャク

デジタル大辞泉 「庚午年籍」の意味・読み・例文・類語

こうご‐ねんじゃく〔カウゴ‐〕【庚午年籍】

天智天皇9年(670)庚午かのえうまの年に作られた、全国的規模のものとしては最古の戸籍。戸籍は30年保存を原則としたが、この台帳は永久保存扱いにされた。現存しない。

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精選版 日本国語大辞典 「庚午年籍」の意味・読み・例文・類語

こうご‐ねんじゃくカウゴ‥【庚午年籍】

  1. 天智天皇九年(六七〇)につくられた戸籍。戸籍は班田収授や氏姓を決定するために六年を一比としてつくられ、五比(三〇年)保存されたが、庚午の年につくられたこの戸籍は永久保存すべきであるとされ、戸籍の定簿とされた。今は残っていない。
    1. [初出の実例]「冝庚午年籍定、更無改易」(出典続日本紀‐大宝三年(703)七月甲午)

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改訂新版 世界大百科事典 「庚午年籍」の意味・わかりやすい解説

庚午年籍 (こうごねんじゃく)

670年(天智9)庚午の年に作成された戸籍。戸籍は地域の住民を登録して課税するために,朝廷の直轄領では渡来人を使って6世紀から作成されていたといわれ,646年(大化2)の改新詔では全国を直轄領として全国的な戸籍を作成する方針をたてたようである。しかし現実には,豪族の勢力がまだ強く残っていてその私有民をもれなく登録することは困難であり,また文字を使うことのできる役人も数少なく,実現はなかなか容易ではなかった。それが白村江の敗戦(663)後は,外敵の侵入に備えて国内統一の強化に迫られ,また朝鮮半島からの亡命貴族に教わって文字を知る役人も増加し,天智朝の末年に至ってようやく全国的に作成することができたのである。このときの《日本書紀》の記事は〈二月,戸籍を造り,盗賊と浮浪とを断つ〉と簡単であり,2月は作成の開始か完了か明瞭でないが,後の律令制度では開始の年をその戸籍の呼び名に用い,また常陸のように庚午年籍は残っていないが辛未(庚午の翌年)年籍ならば残っていると報告している国もあるので,ほとんどの国は庚午の年の2月から作成に着手したと推測される。庚午年籍の後も定期的・全国的に作成することは困難であり,次の全国的な戸籍は690年(持統4)の庚寅(こういん)年籍のようであるが,以後はほぼ6年ごとに着実に作成されていった。701年(大宝1)から大宝令施行されると,ふつうの戸籍は5回分30年間保存であったのに対し,庚午年籍は永久保存とされた。これは良賤や氏姓などの身分についての訴訟があったばあいに証拠として照合するためであり,事実8~9世紀を通じてしばしば庚午年籍が判定の規準に使われている。それらの史料によってもこの戸籍が初めて全国的に作成された詳細なものであったことが明らかであり,9世紀はじめに写本の提出を全国に命じていることから,およそそのころまで保存されていたことが知られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「庚午年籍」の意味・わかりやすい解説

庚午年籍
こうごねんじゃく

670年(天智天皇9)庚午(かのえうま)の年につくられた戸籍。現存していないが、『続日本紀(しょくにほんぎ)』やその他後代の史料によると、この戸籍は全国的な範囲で作成されたものであることが知られる。大宝令(たいほうりょう)の規定によると、通常の戸籍は30年保管されることになっていたが、「庚午年籍」だけは例外として永久に保存されるべきものと規定されていた。事実、平安中期まで残されていたことが「上野(こうずけ)国交替実録帳」などによって知られる。この戸籍は、氏姓の基準として用いられたらしく、令の注釈書である『令集解(りょうのしゅうげ)』や国史にそれに関連する史料が散見する。また「庚午年籍」は現在その全国的実施が確認できる最古の戸籍である。このように全国的な造籍が天智(てんじ)朝に行われたことは、天智朝が律令支配体制の成立史上大きな意義をもっていたことを示している。もっとも、8世紀の戸籍と形式・内容が同一であったかどうか、異なる点があるとすればどのような点であったのかは、わかっていない。

[鬼頭清明]

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百科事典マイペディア 「庚午年籍」の意味・わかりやすい解説

庚午年籍【こうごねんじゃく】

日本最初の全国的戸籍。670年(庚午(かのえうま)の年に当たる)の作成。普通の戸籍が30年保存とされたのに対し,氏姓(しせい)の台帳として永久保存とされたが,平安時代に散逸。
→関連項目近江朝廷庚寅年藉天智天皇

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「庚午年籍」の解説

庚午年籍
こうごねんじゃく

670年(天智9)庚午の年に作成された日本最初の全国的戸籍。具体的な記載内容は不明であるが,のちの律令制下の戸籍が,人民をその居住地で把握する地域的編戸を原則としたのに対し,部民制・氏(うじ)といった族制的な原理に強く規制されていたようである。このため律令制下では旧体制の記録として重要視され,良賤訴訟・改氏姓などの局面で,身分・氏姓の根本台帳として参照されることが多い。大宝・養老令では,通常の戸籍は30年で廃棄されるが,庚午年籍のみは永久保存と定められ,以後も内容を改変せず保存することを命じる法令がくり返し出されている。平安時代に入り,戸籍制度自体の空洞化とともにその役割を終えたものとみられる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「庚午年籍」の意味・わかりやすい解説

庚午年籍
こうごねんじゃく

天智9 (670) 年庚午の年につくられた戸籍。古代においては,一般の戸籍は6年ごとに作成され,30年を経ると廃棄される規定であったが,庚午年籍は永久保存とされた。しかも,この年が『近江令』施行の年でもあったから,これにならってつくられたものと思われる。奈良,平安時代には,近江令と同様に重視され,永久保存,姓氏を正す原簿として重んじられた。日本の戸籍は大化以前からつくられてはいたが,制度化されたのは大化改新のときである。庚午年籍は,大化以後につくられた戸籍のうち,整ったものとしては最も古いものである。各階層でほぼ全国にわたって施行された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「庚午年籍」の解説

庚午年籍
こうごねんじゃく

670年(庚午 (かのえうま) の年),天智天皇が制定した日本最初の全国的戸籍
一片も現存しないが,それまで屯倉 (みやけ) など一部でつくられていた戸籍が全国的にととのったことが後世の史料によって確認される。これにより班田収授が全国的に実施可能となった。後世戸籍の規範とされ,永久保存とされた。

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世界大百科事典(旧版)内の庚午年籍の言及

【戸籍】より

…《日本書紀》によれば,蘇我本宗家の滅亡後,645年(大化1)8月に東国および倭の6県(あがた)に遣わされた使者に戸籍の作成が命ぜられ,翌年正月のいわゆる〈大化改新の詔〉にも〈初めて戸籍・計帳・班田収授之法を造る〉とみえるが,652年(白雉3)の造籍の記事とともにその史料性には疑問があり,ただちにこれらをもって後の律令制的な戸籍制度の成立とみることはできない。その意味で最初の確実な造籍は670年(天智9)の庚午年籍(こうごねんじやく)であり,この戸籍はおそらく近江令の規定に基づき,全国的・全階層的規模で作成されたものである。続いて690年(持統4),飛鳥浄御原令に基づき庚寅年籍(こういんねんじやく)が作成されたが,この戸籍は良賤身分の確定,里制の実施などのうえで重要な意義をもったらしい。…

【姓】より

…姓は朝臣(あそん),宿禰(すくね),臣(おみ),連(むらじ)などのカバネ((かばね))そのものを指すのではなく,またカバネが支配階級を構成する氏(うじ)に与えられた称号であるのと違って,姓は地方の一般人民にまで広く授与された公的な呼称である。姓が初めて全国の人民にいっせいに付与されたのは,庚午年籍(こうごねんじやく)とよばれる戸籍が作成された670年(天智9)のことであった。それ以前は地方の豪族や人民の大部分は氏の名もカバネももたず,無姓のままであった。…

※「庚午年籍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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