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陽其二 よう そのじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

陽其二 よう-そのじ

1838-1906 幕末-明治時代の活版印刷技術者。
天保(てんぽう)9年6月生まれ。家は代々唐通事。長崎で本木昌造(もとき-しょうぞう)にまなび,明治3年井関盛艮(もりとめ)の企画で創刊された日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」を印刷。6年印刷業の景諦社を設立,平版印刷の「こんにゃく版」の一種を発明した。明治39年9月24日死去。69歳。肥前長崎出身。字(あざな)は大有。通称は子之助。号は天老居士など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典内の陽其二の言及

【印刷】より

…ついで門下の平野富二は新街活版所を引きつぎ,72年東京に〈長崎新塾出張活版製造所〉(発展して〈築地活版製造所〉になる)をつくり,73年には国産最初の本格的な印刷機を製造した。また,本木は横浜に陽其二(ようそのじ)を派遣して活版所を開かせ,日本最初の日刊新聞《横浜毎日新聞》の発刊(1870)にも尽力した。その後,79年の《朝日新聞》の発刊にかけて近代的新聞がつぎつぎと創刊されたが,新聞の発行部数の増加に伴い,印刷工業の規模も拡大した。…

【本木昌造】より

…この間,蒸気船を操縦して長崎~江戸間を往復し,造船・航海術に寄与したほか,日本最初の鉄製橋(長崎西ノ浜)を架設するなど,多彩な業績をのこしたが,69年には製鉄所構内に活版伝習所を設置,上海からアメリカ人技師ガンブルWilliam Gambleを迎え,ついに金属活字の鋳造に成功した。70年長崎新町に活版所を開き,活字製造と印刷業を始めるとともに,門下の平野富二(1846‐92),陽其二(ようそのじ)(1838‐1906)らの協力を得て近代印刷技術発展の基礎を築き,またそのとぼしい利潤を新街私塾という一種の市民学校の運営にあて,印刷出版界その他で重きをなす次代の人材を育成した。彼は文字情報の大衆伝達への道を営々と築き上げた開拓的技術家である。…

※「陽其二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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