隈府城跡(読み)わいふじようあと

日本歴史地名大系 「隈府城跡」の解説

隈府城跡
わいふじようあと

[現在地名]菊池市隈府

市街東北部の城山しろやま台地上にある中世山城跡。菊池城・菊池山城・隈部くまべ城・守山もりやま城などともいう。「地志略」は「菊池十六代武政当城を築き、菊池より移住す。二十二代能運まで六代居城す。菊池家衰廃の後隈部但馬守親永在城す」と伝え、深川の菊ふかがわのきくいけ(深川城)から当城に菊池氏の本城が移ったとする。築城年代を「菊池風土記」は正平二二年(一三六七)と伝えるが、建武三年(一三三六)一月八日、大宰府の堀三郎入道に属する小代光信らが菊池武敏らの守る「菊池山城太手」に押寄せて合戦しており(年未詳「小代光信軍忠状」詫摩文書)、それ以前の築城ともいわれる。翌年八月、詫磨宗直が「菊池渡山」において菊池勢と一戦を交えているが(暦応三年三月日「詫磨宗直軍忠状案」同文書)、この「渡山」は城山東部の輪足わたり(現亘)と思われ、当城周辺での合戦と推定される。

正平四年一〇月頃と推定される恵良惟澄申状追書写(阿蘇家文書)によれば菊池本城に北朝方の合志幸隆が立籠ったが、菊池武光は外城を焼払い、「隈部城」を落城させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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