…そしてその下で鹿子木,甲斐,城,隈部,赤星,合志,内空閑(うちこが),小代,大津山などの国衆が,それぞれの居城(肥後の中世城は400~500にのぼる)を中心に割拠して勢力の拡大をはかった。77年(天正5)菊池氏老臣の一人隈部親永は,大友氏の援助で隈部(隈府(わいふ))城主となった赤星統家を退けるため竜造寺勢を引き入れ,以来玉名,山鹿方面の諸勢力はその影響下に入った。一方南からは島津氏が相良氏を下し,隈本(熊本)の城氏に迎えられて肥後北部に進出,84年には肥前高来(たかぎ)に竜造寺隆信を敗死させてその支配下にあった国衆を家臣化し,86年には浜の館の阿蘇氏も没落させ,肥後は島津氏によっていったん統一された。…
※「隈部親永」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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