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隈部親永 くまべ ちかなが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

隈部親永 くまべ-ちかなが

?-1588 戦国-織豊時代の武将。
肥後(熊本県)長野城主。代々菊池氏につかえ,のち大友氏,竜造寺氏の配下となる。隈府(わいふ)城主赤星氏を討って,そのあとに居住。天正(てんしょう)15年新領主佐々成政(さっさ-なりまさ)の検地に反対して肥後国衆一揆(くにしゅういっき)の中心となってたたかったが降伏,16年5月切腹した。

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朝日日本歴史人物事典の解説

隈部親永

没年:天正16.5.27(1588.6.20)
生年:生年不詳
戦国時代末の肥後(熊本県)山鹿・菊池郡の国人領主。隈府城主。刑部丞,但馬守,筑後守。旧守護大名菊池氏三老臣家の後裔で本来長野城主。天正6(1578)年,竜造寺氏と結んで赤星氏を追い,隈府城を入手。同12年島津氏に下り豊臣秀吉の九州出兵で本領を安堵されるが,肥後国主として隈本にあった佐々成政の検地に抵抗,天正国人一揆の発端を作る。成政の出兵に対し隈府で籠城,いったんは降伏したが子親泰の山鹿郡城村城の籠城に加担,国内の国人らに成政不在の隈本城を包囲させ,その攻勢をかわした。その後,秀吉の命による立花氏ら他国軍勢の包囲を受けて降伏。同16年柳川黒門前で殺される。<参考文献>『上井覚兼日記』『立花文書』『小野文書』『拾集昔語』

(阿蘇品保夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の隈部親永の言及

【肥後国】より

…そしてその下で鹿子木,甲斐,城,隈部,赤星,合志,内空閑(うちこが),小代,大津山などの国衆が,それぞれの居城(肥後の中世城は400~500にのぼる)を中心に割拠して勢力の拡大をはかった。77年(天正5)菊池氏老臣の一人隈部親永は,大友氏の援助で隈部(隈府(わいふ))城主となった赤星統家を退けるため竜造寺勢を引き入れ,以来玉名,山鹿方面の諸勢力はその影響下に入った。一方南からは島津氏が相良氏を下し,隈本(熊本)の城氏に迎えられて肥後北部に進出,84年には肥前高来(たかぎ)に竜造寺隆信を敗死させてその支配下にあった国衆を家臣化し,86年には浜の館の阿蘇氏も没落させ,肥後は島津氏によっていったん統一された。…

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