デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「雅成親王」の解説 雅成親王 まさなりしんのう 1200-1255 鎌倉時代,後鳥羽(ごとば)天皇の皇子。正治(しょうじ)2年9月11日生まれ。母は藤原重子(修明(しゅめい)門院)。宣陽門院覲子(きんし)内親王に養育され,建仁(けんにん)4年親王となる。承久(じょうきゅう)の乱に関与したとして但馬(たじま)(兵庫県)に流された。建長7年2月10日死去。56歳。六条宮,但馬宮とよばれた。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「雅成親王」の解説 雅成親王 没年:建長7.2.10(1255.3.19) 生年:正治2.9.11(1200.10.20) 後鳥羽天皇の皇子。母は修明門院藤原重子。宣陽門院(覲子内親王)の養子となり,六条宮と呼ばれる。承久の乱(1221)で父の後鳥羽上皇に従ったため,但馬国に流された。逃亡を企てるが果たせず,当地に没した。 (土谷恵) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
367日誕生日大事典 「雅成親王」の解説 雅成親王 (まさなりしんのう) 生年月日:1200年9月11日鎌倉時代前期の後鳥羽天皇の皇子1255年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報