日本の城がわかる事典 「雑賀城」の解説 さいかじょう【雑賀城】 和歌山県和歌山市雑賀崎の妙見堂山にあった山城(やまじろ)。戦国末期に雑賀衆の率いる雑賀一揆の拠点となった城。雑賀衆とは紀伊雑賀荘内の族党からなり、根来(ねごろ)寺とともに鉄砲集団としてその名を馳せた。雑賀衆の頭目、鈴木佐太夫(さだゆう)が和歌浦を望む小さな丘に居城を築き、東に侍屋敷、西に町屋を置いて中世の城下町を形成したといわれる。織田信長と石山本願寺門主の顕如(けんにょ)との間で石山合戦が起こると、雑賀衆は顕如に合力し、軍事・兵糧基地となったのが雑賀城であった。1577年(天正5)、信長は雑賀一揆征伐のため、雑賀攻めを敢行する。雑賀衆は本拠地の雑賀、中州、吹上の3城に分かれて頑強に防戦したが、信長の大軍に鈴木孫一(左太夫の嫡男)以下の雑賀衆は軍門にくだり、1580年(天正8)に本願寺の降伏で戦いは終結した。1585年(天正13)には、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の紀州征伐によって雑賀の諸城は落城した。現在当時の遺構はほとんど残っていないが、城跡山公園に説明板が設置されている。JR紀勢本線紀三井寺駅からバスで和歌浦下車、徒歩10分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報