雨田村
あまだむら
近世初頭の村名で、のちに
谷・岩田・坪野・宿女の四ヵ村となる。鎌倉期の甘田保に属し、室町時代には甘田村とよばれるが、戦国末期に甘田村から柴垣村(現羽咋市)が分立した。享和元年(一八〇一)の十村平蔵の覚書(「穴口村旧記」穴口区有文書)に
谷・岩田・坪野・宿女四ヵ村の「惣名昔年雨田村与申伝(中略)只今ハ用ひ申儀無御座候」とみえる。
雨田村
あめだむら
[現在地名]須賀川市雨田
下小山田村の南、阿武隈高地の西縁に立地。西境を須賀川宿から和田村を経て狸森村への道が通る。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に雨田とみえ、高九七三石余、外池作蔵の知行地。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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